性善説に立つと合理化する。性悪説に立つと官僚化する。

漫画本を返却するためTSUTAYAに行った。
TSUTAYAには、「返却BOX」が置いてある。レンタルした漫画本やDVDを投函できるBOXだ。

返却BOXは、期限が過ぎた物は返却しないだろう、という性善説が前提となっている。だからこそ、人を置かない返却BOXが設置できる。このように、性善説は合理思考と相性が良い。

性善説に立てば合理化が図れ、コストを大幅に削減できる。無人駅もその良い例だ。
もし、性悪説に立てば、返却BOXを設置しようとは考えないだろう。当然、無人駅もない。性悪説は、官僚化と相性が良い。低確率の問題を潰すことに躍起になる。

以前、ユッケによる食中毒が起きた際、厚生労働省の対策が滑稽だった。
厚生労働大臣が記者会見で「ユッケは芯まで火を通して食して下さい」と述べた。「それはもはやユッケではない」と笑いながら突っ込んだ記憶がある。厚生労働省は最終的にユッケの流通禁止を決定した。つまり、飲食店のメニューから「ユッケ」を消したのだ。
何十万店舗とあるうちの一店舗で食中毒が起きたら流通をすべて断つ。この発想はすごい! 衛生管理を徹底するのではなく、根から断つのだ。確かに問題はゼロになる。その代わりにユッケが食べられなくなるが。

ユッケの例からも分かるように、少数の悪事や問題のために全体の犠牲を払うことを官僚はよくやる。これは何も官僚だけを揶揄しているのではない。国民の多くにも、この官僚化が蔓延している。
たとえば、生活保護支給はどうだろう。一部の不正受給者を取り締まるために、全支給者に犠牲を強いた。手続きは厳しくなり、支給額も減る方向だ。不正受給率は、受給者全体の0.5%にすぎない。ネットでは「やれやれ、もっとやれ」との意見が多い。

多数の善意に焦点を当て性善説に立てば、合理化しやすい。
少数の悪事に焦点を当て性悪説に立てば、官僚化しやすい。

私の観察では、日本は性悪説による官僚化が進んでいるようだ。