YouTuberのKAZUYA氏の講演会が広島で開催されたので受講してみた。その感想と私の持論を勝手に述べてみる。

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昨日、広島市の安芸区民文化センターにて開催された、KAZUYA氏の講演「よみがえれ修身! ~国づくりは教育から~」を受講してきた。

KAZUYA氏と言えば、YouTuberとして活躍している26歳の若者だ。政治や時事ネタを取り上げ、YouTubeを通じて意見を発信している。KAZUYA氏が運営するKAZUYAチャンネルは、破竹の勢いで登録者数が増えており、現在20万人以上の登録者がいる。私も半年ほど前から彼の存在を知り、チャンネル登録をしてからは毎日動画を観ている。いわば、KAZUYAファンの一人である。

さて、そんなKAZUYA氏が広島に来るということであれば、これは行かざるを得ない。開演40分前に会場に着くと、国道沿いで共産党が集団的自衛権の反対演説をしていた(開演30分前には撤退した)。そんな不穏な空気が漂う中(私の中で)、講演会は始まった。

KAZUYA氏の講演時間は正味1時間。講演時間の約半分は動画撮影の裏話や今の日本に足りないものについて語り、残り半分は、なぜか自己啓発的な「人生の目標を持ちましょう」「目標は紙に書けば叶う」みたいな話だった。どれもKAZUYAチャンネルでは見れない聞けない話題だったため、それはそれで面白かった。それと、カープのユニフォームを着て講演する姿は、KAZUYA氏が持つ茶目っ気を覗かせていた。この茶目っ気が彼の魅力なのだと私は思っている。

 

 

興味深かったパネルディスカッション

さて、そろそろ本題に入ろう。(前置き長かったね、ごめん)

私が特に興味を引かれたのは、講演後のパネルディスカッションだった。
パネリストにはKAZUYA氏を入れた4名。

その他の3名は
・神谷宗幣(自由民主党・竜馬プロジェクト全国会会長)
・石田敦彦(広島大学大学院双方価格研究所教授
・松田雄一(広島まほろぼ学習会・代表)

ディスカッションの終盤、「日本人は感謝の心を忘れてしまった。どうすれば感謝の心を取り戻せるのか」が論点となった。

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神谷氏は、自身の経験を元にこう語った。「私はアジアやアフリカを旅して、いかに日本が恵まれた国なのかを認識しました。食べるのに困っている国や人々がいるのは頭では存じていましたが、目の当たりにして初めて理解でき、日本に生まれたことにありがたさを実感しました」。
神谷氏は結論として、「外国に行ったり、苦労したりすると良い。そうすれば、日本がいかに恵まれている国かが分かり、当たり前にあるものに感謝できるようになる」(私の記憶で書き起こしているため一語一句正確ではないが、主旨としては合っているはず)。
この結論に他3名のパネリストも満場一致といった様子でディスカッションは終了した。

さて、私も「どうすれば感謝の心を取り戻せるのか」について意見を述べたいと思う。

 

 

感謝は能力である

感謝の心の有無・大小は、能力で決まる。これが私の持論だ。
では、その能力とは一体何を指すのか。それは感性である。ただ、一言で感性と言ってもかなり広義なため、狭義な表現をするならば、読解力に当たる。

読解力と聞くと、「文章に書かれている意味を理解する能力、加えて、文章に書かれていない情緒や奥行きを読み取る能力」と思うだろう。それで合っている。ただ、この読解力が発揮されるのは、何も文章に限った話ではない。
たとえば、映画やドラマを観て、台詞にはない感情や真意などを読みとるのも読解力だ。これができるか否かで、映画、ドラマの面白さが変わってくる。

読解力は、日常生活にも影響を与えている。
たとえば、毎日通勤する公道に花が植えてある。四季折々花が変わる。この花を見て、「花がある」「ああ、綺麗だな」としか思わないのは、読解力が浅い。今日も花が植えてあるのは、誰かが毎日手入れをして育てているからだ。通勤中、手入れをしている人の姿は見ない。だが、必ず誰かが手入れをしている。そうでなければ花は咲かない。
花の先にあるもの、花を植えて育てている人が見えれば(読めれば)、当たり前に花があることの現実が色を帯びてくる。
人の苦労や優しさが見えてくれば、花があることへの感謝の心が芽生えてくるだろう。

「人は、当たり前にあるものになかなか感謝できない」という意見がある。私なりにこれを言い換えれば、「当たり前にあるものを表面的な意味でしか読解できていない、または、読解しようとしていない」となる。

感謝するために足りないのは、目の前にある現実を深く感受できる感性であり、ひいてはそれを読解力と呼ぶ。

 

 

読解力を養う3つの方法

では、どうしたら読解力を養えるのか。それには3つの方法がある。
その3つとは、

1.知識を得る
2.経験をする
3.失ってみる

では、解説していきたい。

 

 

1.知識を得る

読解するためには、知識が必要になる。
先ほど花を例に出したのにちなんで、今度は桜を例に解説しよう。
毎年春になると私たちは桜を愛でる。実は桜が咲くまでには、種を植えてから約30年の年月を要する。その間病気にならないよう一年一年手塩にかけながら育てていく。桜を人知れず育てる人たちを「花守(桜守)」と呼ぶ。彼らは自分が育てた桜が満開になる姿を見れないかもしれない。30年という月日の中でこの世を去ることだって十分にあるのだ。私は今年で31になる。今までの人生と同等の時間を注ぐことを考えると気が遠くなってくる。これは大変な仕事だ。
それでも皆が桜を愉しみ、愛でてもらえるよう花守は桜を育て続けるのだ。このように、花守の存在を知るだけでも桜景色を見る目が少しは変わってくるはずだ。桜の一本一本、長い年月の労力によって咲いているのだと思えば、感謝の心も自然と湧いてくる。
このように、知識を得ることで読解する余地が生まれてくるのだ。

 

 

2.経験をする

知識以上に読解力を鍛えるのは経験である。
脳からすれば、知識も経験も同じ情報なのだが、その情報の質と量が段ちなのである。経験しなければ物事は深く理解できない。これは、誰もが体感していることだろう。
「親の苦労は親にならないと分からない」とよく耳にする。この言葉は、知識と経験の差をよく表している。これと同じように、「苦労している」を知識で知っているのと、実際に「苦労してみる」では、情報量も質も全く異なるのだ。
先ほどの花守の例で言えば、「30年誰かが育てている」という知識と、実際に「30年育ててみる」では、その苦労さの理解度が異なるという事実は想像に難しくないだろう。
このように、経験を通じることで深く感受できるようになり、言い換えれば深く読解できるようになるのである。

 

 

3.失ってみる

私は過去に、毒物を呑み込んでしまい2日間入院した経験がある。
退院してすぐにファミレスで食事をしたのだが、ご飯を口にした瞬間、涙が流れてきた。入院中、まともに食事をしなかったせいだ。
読解するには比較が必要である。何かと比べてはじめて人は、多いのか少ないのか、大きいのか小さいのかを理解できる。食べ物が当たり前に“ある世界”で安住して、食べ物が“ない世界”を体感しなければ、比較しようがない。つまり、食べ物が“ある世界”を読解できず、同時に読解しようとも思わない。

冒頭で紹介した神谷氏の意見、「外国に行ったり、苦労したりすると良い。そうすれば、日本がいかに恵まれている国かが分かり、当たり前にあるものに感謝できるようになる」は、まさに日本での当たり前が“ない世界”を体感したからこそ生まれた読解なのである。
人は“ある世界”を失い“ない世界”に身を置かなければ、“ある世界”をしっかりと読解できない。逆説に言えば、“ない世界”を経験することで読解力は大きく養われるのである。

 

 

まとめ

感謝の心は読解力から生まれる。これが私の持論だ。
そして読解力は、「知識を得る」「経験をする」「失ってみる」の3つから養われる。さて、あなたはどのように読解力を養うのだろうか。


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