稼ぐことに意欲が持てないのは、最先端の感性である

最近、書店のビジネス書コーナーに行けば、「今後も不景気になる世の中で、どんな風にすれば生き残れるのか、どう稼げばいいのか」というテーマの本が山のように並んでいる。
日本の景気は今後も良くなる見通しはない。あったとしても、ほんの少しの経済成長だ。どの経済評論家も大方同じ意見だろう。何より、この経済社会で生きる我々が、ひしひしとそれを肌で感じている。

今の日本経済は、下りのエスカレーターに乗っている。
書籍に書かれている内容も、この厳しい経済社会で、ほんの一部の人しか生き残れない方法ばかり。つまり今の時代、いくら頑張っても一部の人しか経済的に豊かになれないということである。

そもそも社会(システム)とは、大衆が豊かに暮らしていくためにある。しかし一部の人しか豊かになれないのであれば、その社会はオワコン(終わったコンテンツ)なのだ。一部の人しか豊かになれない、つまり今の経済社会はオワコンになりつつある。

今後日本に必要なのは、厳しくなる経済社会の中でどう立ち回るかという話ではない。そうではなく、経済活動から半ば降りて、それでも豊かで幸せに暮らしていけるという話が必要だ。そのほうが、今の経済社会で頑張れと言うより、大勢を幸せにする。

 

 

稼がない生き方が主流になる

経済人には悪いが(私も経済人だが)、これからの日本人の感性は、「お金を稼がない生き方」という方向に向かうだろう。もう少し具体的に言えば、「頑張って稼ごうぜ」ではなく、「頑張って稼ぐより、あまり稼がなくても豊かで幸せに暮らせていける」という方向に向かう。

これは、ごく自然なことだ。
今の時代、頑張って労働をしても昔ほど報われない。労働に対する費用対効果が悪くなった。毎日出社し仕事に励んでも、年々収入が上がるわけではない。ポストも用意されない。そればかりか、いつリストラの対象になるかも分からない。

 

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それだったら、最小限の労働、つまり費用対効果が最も高い辺りで仕事を終え、それ以外は他の事に時間を使うのが賢明だ。そう考えるのが自然である。

 

 

欲しい物を手に入れる方法は、8つもある

当然、低収入にはなるが、それでも欲しい物を手に入れる方法はある。
欲しい物を手に入れる方法は、〝お金を払って買う“ことだと、多くの人は思っている。しかしそれは、数多くある手段の内の一つでしかない。
私が思いつくだけでも8つある。

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そして今後は、友人や知人と所有権を共有する、貸し借りや譲渡などが普及してくると予想している。

私の予想も前兆が見られる。
たとえば、最近流行り出したシェアハウス。ほかには、カーシェアリングというサービスも登場した。また、DMM.comは、服から電子機器までレンタルできるサービスを展開している。このように、共有や貸し借りするモデルが出始めているのだ。

私の持論では、経済が低下するに従い、「新品を買う⇒中古を買う⇒レンタルする⇒共同購入(シェア)する⇒物々交換する⇒借りる⇒お古をもらう」という流れになる。
景気が悪くなると、お金で解決していたものを人間関係(繋がり)という力で克服するモデルが出てくるというわけだ。そして、ネットの普及やSNSの繋がりが、それを容易にしている。

 

 

SNSの繋がりから見えてくる、新しい社会

最近私が目にしたもので面白い例があった。
FBで「スタッフが足りません。繁盛期の○~○日まで、飲食店のバイト経験者を急きょ募集します」というお願いの書き込みがあった。ほどなくして、「私が手伝います」という名乗りを上げた人が数名出てきた。

私にも体験がある。
「最近お腹周りが気になるので、いいリンパマッサージ店を知っていますか?」と書き込んだら、何人かが良いお店を紹介してくれた。もし、こうした繋がりがなければ、おそらく、腕の悪いマッサージ師に当たっていたかもしれない。しかし、FBで質問するだけで、無駄なコストと時間を省けるという訳だ。
このように、SNSによる助け合いや情報のシェアが、コスト減に繋がり、あまり稼がなくても生きていける社会の実現に一役買っている。

 

 

物欲のない若者は、最先端の感性をしている

「最近の若者は、物を買わなくなった」とよく聞く。消費意欲のない若者を見て、「欲がない」とか「野心がない」と批判しているようでは、時代の変化が見えてこない。

若者が物を買わないのは、最先端の感性だ。
所有権を独占するためにお金を稼ぐことが、いかに非効率で高コストなのかに気づいている。そして何より、欲しい物は買う以外にも手に入ることに気づいている。

若者から見れば、無理(非効率)に頑張ってお金を手にする意味が分からない。
車は持たないし、マイホームへの夢もない。車は必要な時にレンタルするか、カーシェアリングを利用する。友人がいれば、友人に車を借りればいい。マイホームではなく、賃貸(レンタル)でいい。そんな感性を持っている。

今の若者は、消費することに意欲がない、という認識は間違い。正確に言うと、所有することに意欲がないのだ。そして、今まで言及してきたように、所有せずに生活できるサービスやインフラは整いつつある。

私は先ほど、「頑張って稼ぐより、あまり稼がなくても豊かで幸せに暮らせていけるという方向に向かう」と書いたが誤りだ。正確には、もうすでにその方向に向かっているのだ。

 

 

経済人の成功モデルが恥ずかしくなる時代

少し前までは、大金を手にして何から何まで所有するのが成功とされてきた。一生安泰なお金を手にし、豪邸を立て、高級車を乗り回し、海のビーチで暮らすというのが成功モデルだっただろう。
今の若者からすれば、それは“馬鹿な人モデル”なのだ。正直、私も30歳というギリギリ?若者なので、20代の気持ちは多少なり理解できる。私も、過去の成功モデルになりたいという欲求がほとんどない。

私も会社を経営しているが、会社を成長させたいという欲求はある。しかし、個人の所得を増やしたいという欲求がほとんどない。車も欲しくないし、家も賃貸で充分だ。また、所得を増やした時の税金が無駄に思えてしょうがない。

私も以前は、過去の成功モデルを追いかけたことがある。
収入が上がれば、どんな景色が見えるのか見てみたかったからだ。好奇心からの行動だ。そして、それなりの収入になった。しかし、見えた景色は「なんだ、こんなもんか」である。そして何より不快だったのは、税金だ。なぜ、こんなにも税金を払わなくてはいけないのか、不満でしょうがなかった。自分の所得を下げ、浮いた税金分で、誰か雇用すればいいとさえ思った。

一応、私には所得目標がある。
それは「○○○万円以下にする」という目標だ。書き間違いではない。〝以上“ではなく〝以下”なのだ。

お金は何かを所有するためにある。しかし、所有する意欲がなくなりつつある昨今、お金そのものの価値は薄れつつあるのだ。

 

いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる (PHP新書)

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下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

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