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情報知と経験知との関係と経験知の未来

考えてみた 社会

「知」には、二種類ある。
「情報知」と「経験知」だ。

「情報知」とは、文字や映像を通じて得られる知である。
「経験知」とは、体験を通じて肌感覚で得られる知である。

どちらが優れているかは考える必要はない。なぜなら、両者の知を総合的に得るほうがいいからだ。

たとえば、ギターを弾けるようになりたいとしよう。
人から口伝された情報や入門書から得られるのは情報値だ。何度も何度も弾いてみて感覚的にコツを掴むのは、経験知の蓄積によるものだ。情報知なしで経験知を積むよりも、情報知を得てから経験知を積むほうが効果的ということはある。「習うより慣れろ」という言葉もあるが、どこかの段階で情報知の収集は必要になるだろう。

さて、悩ましいのは、経験知を経験知のまま伝達できない点だ。
ギターを何千時間練習してプロレベルになったとしよう。自身の経験を元に親切丁寧に伝えても、どんなに分かりやすいマニュアルを作ったとしても、教えられる側にしてみたら、それは情報知でしかないのだ。

教えられる側も、誤解してはならない。情報知を得たからといって、経験知を得てたわけではないのだ。

たとえば、よくある間違いが、「本を沢山読めば、文章は上手くなる」だ。これは完全に誤解である。いくらサッカーを見ていても、サッカーは上手くならない。それと同じである。参考にはなるが、上手くなるわけではない。この「参考にはなるが、上手くなるわけではない」の加減が分からない人や区別できない人が少なからずいる。
恋愛本を読んで恋愛が上手くいくなら、誰も苦労しない。アダルトビデオを見てエッチが上手くなるなら、誰も恥をかかない。

今、情報知で溢れている。その反面、経験知を軽視するというか、あまり重きを置いていないように見える。というか、話題にも上がらない。

「WEBですべて知れる」と思い込んでいるのは、偏り過ぎている。経験知には、温度がある。匂いがある。味がある。皮膚を通じて伝わる感触がある。情報値には、それが決定的に欠けている。

今や、情報知は安価で簡単に手に入る。技術革新の賜物だ。
今意識して手に入れなければならないのは経験知のほうである。おそらくこれから先、技術革新してもこの経験知だけは直接伝達できないだろう。

もし、それが可能になるとすれば、脳にある経験知をデータ化して相手の脳に移せるようになっているのだろう。多分そのときは、スキルや経験、感性が売買できる世の中になっている。目が黒いうちにそんな未来が来るのなら、今から「売れる経験知」を蓄えておくのは、先行投資としていいのかもしれない。