自殺した父に向き合いたい | 「悩みのるつぼ」に答えてみる

10月27日(土)の朝日新聞朝刊「悩みのるつぼ」に寄せられる相談を、私が勝手に答えてみるシリーズ。思考訓練になるため、今後も続けていく予定です。
※いつもブログは「だ・である」調なのですが相談への回答は自然と「です・ます」調になってしまいます。気にせず読んでください。

 

 

相談者からの悩み

28歳の独身女性です。父親を高校1年生のときに自殺で亡くしました。
膵臓ガンの手術は無事に終わったはずでしたが、術後も体調がすぐれず、原因のわからない痛み、苦しさに耐えかねて自ら死を選んだのです。

家族思いでいつも私のことを大切に育ててくれた父親が大好きでした。
父親の自殺は自分にとって大きなショックでしたが、私以上に強い悲しみを抱いているであろう母親の前で涙を流すことができませんでした。一度も父親の死を辛い、と口に出せないまま生きてきました。

知り合う人々にも「父親は膵臓ガンで亡くなった」と言い、自殺を隠しています。
大人になり、恋人ができても父親が自殺したと言ったら、嫌われるのではないか、と思い、本当のことを話せないまま?をついている心苦しさに負けていつも別れを選んでしまいます。

自殺する者は世間では生きることから逃げた弱虫だと言われます。しかし、当事者にしかわからないこともあります。私は父親の死は間違っていないと思っていますが、周りには正直に話せないというのは、どこかで父親の死に方を軽蔑しているのではないか、自分自身の矛盾ではないかと心が痛むのです。

この先、父親の死とどう向き合えばよいでしょうか。
私は性格も思考も父親そっくりです。自分も同じように自死を選びのではないかと考えて眠れないこともあります。

 

 

私なりの回答

私は質問を読み、最初に思ったのは、「お父さんは自殺していない」です。
確かに、最後に命を摘んだのは自身でしょう。ですが、お父さんを殺したのは、お父さん自身ではなく、病気(膵臓ガン)です。

病気は、直接本人を死に至らしめることもありますが、今回のように苦痛を与え、耐えきれなくなり、人を死に追いつめることもあります。私はそれらも含んで病害だと思っています。お父さんは死の寸前まで病気に追い詰められ、自ら介錯にしたのです。

それと、あなたが抱えている心の不安や葛藤は、あなたが気持ちを隠しているから起きている問題です。一度お母さんの前で辛かったことや悲しかったことを話してみてください。きっと大泣きすると思いますが、それで構いません。お母さんも娘が泣かないものだから、きっと気丈に振る舞って来たと思います。お母さんも心にわだかまりを抱えて来たと思います。

親族を失った悲しみは、堪える必要はありません。堪えていたら一生付きまといます。泣いて泣いて、悲しみをきちんと浄化させてあげることも大切なのです。それができたなら、あなたは「自分も同じように自死を選びのではないか」などと悩まなくなるでしょう。残るのは、お父さんへの感謝だけです。

 

 

この回答に至った背景

私は相談者の悩みを読んで「介護による殺人」を連想しました。
介護に疲れ、自身の親を殺してしまう事件が時々起きます。私はそんなニュースを見ると何とも言えない気持ちになります。親を殺した人は、献身的に介護し、限界まで努めたはずです。しかし、限界を超え、殺してしまった。中には、殺した後、自分も自殺する人もいます。
私は、そんな彼ら彼女らを、そこら辺の殺人者と一緒にしたくはありません。同じ殺人でも、同情できるものからそうでないものまで、グラデーションがあります。

自殺も同じです。
相談者のお父さんは、病魔に侵され、死ギリギリまで追いつめられたのでしょう。そして、最後に一押しを自分でしてしまった。
厭世的になり自殺したわけでも、遊び金の借金を抱えて返せなくなり自殺したわけでもありません。それらの自殺と一緒にはできません。限りなく、病気に殺されたに近い自殺であり、病気に殺されたと言うほうが適切だと思いました。

最後の悲しみを堪えずに母親と話すよう諭したのは、普通に親を失った人のように悲しみを経験させたかったからです。自殺と思い込んでいたため、きっと今まで自身の感情を表に出さなかったのでしょう。「自殺ではない」と認識を改められたなら、悲しめなかった時間を今から取り戻して、悲しめばいいのです。それでだいぶ心の重荷は軽減されるはず。

以上が回答とその背景です。

 

オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)

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