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イスラム国の人質事件に見る、日本人の劣化

イスラム国の人質事件を知ったとき、私は人質の安否が最初に頭をよぎった。ネットでは、これをネタに憲法9条の成否を論じている人たちを散見して、正直驚いた。事件が収束した後に論じたり、政治家がそれを言うのならまだ分かるが、一国民が、人質の安否も心配せず、政治的発言するのはどうかと思う。

私は右でも左でもないし、憲法9条は国民の総意があれば、改憲してもいいと思っている。ただ、人命をネタに政治的発言している人たちは、右も左も、憲法9条賛成も反対も関係なく、等しく人の心が欠落している。

それに、よくよく考えたらこの問題、憲法9条は一切関係ない。なかったら拉致されないわけでも、解決できる問題でもない。憲法9条が抑止や事件解決になるのであれば、アメリカ人は、一人として殺されていないことになる。

 

 

日本人は劣化している

もう一つ目についた言葉があった。「自己責任」だ。
まさか、こうした事件が起きたときに、「自己責任」を唱える国民が未だにいたとは、いやはや恥ずかし限りである。

2004年のイラク人質事件があった際、マスコミは「自己責任論」を煽情した。はじめは人質の安否を気遣う報道だったが、どこかを境に自己責任を唱えるようになった。それに乗せられたのか、解放され、日本の空港に降り立った被害者に対して、「自己責任」と書いたプラカードを掲げ抗議する人たちが何人もいた。
私はTV中継でその様子を見ていてこう思った。マスコミもそれに煽情された奴も本当に恥じるべきだ、と。

あのときは、マスコミの煽情があり、あのような非人道的な行為ができたのだと思っていたが、それは私の誤解だったようだ。今回の人質事件はマスコミが煽情するまでもなく、国民の中から自発的に「自己責任」を唱える人たちが出てきたのだ。それもわんさかと。

危険な国や場所に行くのだから、それなりの覚悟がいるのはわかる。本人たちも覚悟を持ってイスラムの地を踏んだのだろう。しかし、事件に遭ったからといって、「まぁ、自己責任で」と切り捨てるのは筋が違う。

危険と承知していて、それで被害に遭った場合、自己責任の一言で一蹴していいのか? なわけないだろ。
そんな道理が通るなら、女性が深夜、一人で道を歩いていて暴行されたら、「夜道を一人で出歩いているのが悪い」と言い、泣き寝入りをさせるのだろうか。いじめにあっている子供が学校に行き、さらに陰湿ないじめ遭ったら、「いじめに遭うと分かっていて、学校に行くのが悪い」と言うのだろうか。被災地に救助に行って事故に遭っても自己責任。冬山で遭難したら自己責任。これらも助ける必要がない、糾弾されても仕方ないってことになる。

もちろん、本人に一切の責任がないわけじゃない。
ただ、「自己責任」の言葉は、「全部お前の責任」の意で使われている。今回の事件で「自己責任」の使われ方は「死んでよし」「助ける必要なし」の意味だ。事実、「捕まるなら自殺しろ」と言っている人も大勢いる。
国民が国民を切り捨てる世情は、狂っている。命のリアリティが薄い。

本当に非難されるべきは、拉致をしたイスラム人であるはずだ。
被害者が同情されることがあっても批判されるのはおかしい。なぜ、被害者が責められているのか私には意味が分からない。

人質の安否も気にせず、人命を政治的利用をして、終いには自己責任論。マスメディアを「マスゴミ」などと嘲笑するようになり、少しは自分の頭で考える力を国民は得たのかと思ったいたのだが、ただ劣化していただけだった。加えて、人質写真をアイコラにして遊んでいる様相からして、日本人は、どうしようもなく劣化していると言わざるを得ない。

 

 

まとめ

今の国民に、まとまな思考力はありません。