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人が死んでもいい「自己責任」ってなぁに?

人質事件の自己責任論が賛否に分かれている。
私みたいな人間が政治に口を挟んでも何一つメリットはないのだが、少し意見を言いたくなったので一言。

後藤氏は、行くなと言われた危険地帯に踏み入った。それは確かに責任がある。その行為は、勇気とは言わず、無謀と言うのかも知れない。だが、私にはわからない。それが「自己責任だ」と糾弾され「助ける必要はない」「殺されても仕方ない」と言われることなのかが。
 
「自決しろ」とブログで述べた芸能人もいる。それに同調する人たちもいる。
私にはわからない。「自決しろ」と言える神経が。それは自殺を肯定する発言だ。もし自分の周りで他人や自国に迷惑をかける人がいたのなら、その人に対して「自殺してください」と言うのだろうか? 恐ろしい。そういった同調圧力があるから日本は自殺大国なのだろう。お国のために自殺しろなどと、なんだか江戸時代の侍のようだ。もう200年前に終わった価値観だと思っていた。

私はどんなことがあっても自殺を肯定する論理はあってはいけないと考えている。私はどんなことがあってもテロリストに殺されることが肯定される論理はあってはいけないと考えている。

後藤氏は誰も殺していない。強姦をしたわけでもない。窃盗をしたわけでもない。ただ、無謀にも危険地帯に足を踏み入れ、人質となってしまったのだ。そんな彼に私は、「自己責任だから、殺されても仕方ないね」「迷惑だから、自決してね」なんてとてもじゃないが言えない。残念ながら、そこまで人の命を軽んじる人間に、私はなれないのだ。見限るほうがラクだと知っている。だが、それだけはできない。

先ほども述べたが、
テロに人が殺されてもいい理屈なんてないんだよ。
人に自殺を要求してもいい理屈なんてないんだよ。
それは人間が守らなくてはいけない、最後の最後の倫理観なんだ。