手段や道具としての「冷たい勉強」をまだ続けますか?

最近、私はある作家にハマっている。その作家とは、荒俣宏氏。
なんというか、感性が私と似ている。「言いたいこと分かるわ~」と、頭ではなく、気持ちで理解できるのだ。

私が荒俣宏氏に興味を持ったきっかけは、NHKの「クールjAPAN」という番組だった。番組の主旨は、毎回日本の文化を1つ取り上げ、10人近い外国人がクールかどうかを判断する、というものだ。その番組のご意見番として荒俣宏氏が出演している。番組の最後に話をまとめる役なのだが、そのまとめ方が上手い。「ビートたけしのTVタックル」という番組の最後にするたけしのまとめ方もすごいと思ったが、荒俣氏は日本文化の奥深さを伝えつつ、話をまとめる。その知的なまとめ方は圧巻で、舌を巻くほどだ。そんな経緯もあり、荒俣氏に興味を持った。

早速、荒俣氏の著書を買おうと思い、Amazonで調べた。すると、何とも奇天烈な書籍が数多く表示された。風水関連や妖怪関連、神秘学、フリーメイソンなど、多種多様の本が並ぶ。この時点で私は、「やっぱり、この人面白いわ~」「きっと好きなことばかり勉強してきたんだろうな~」と直感した。奇天烈な書籍が並ぶ中から、一番最近で、常識人な私(?)でも、読めそうな書籍、「0点主義」を購入した。

0点主義 新しい知的生産の技術57

0点主義 新しい知的生産の技術57

 

 

早速書籍が届き、プロフィールを拝見したところ、なんと300冊以上の書籍を書いていることが分かった。これだけ書籍を書く人を知ったのは、中谷彰宏氏以来である。(中谷彰宏氏は1,000冊以上執筆)

ずいぶん前置きが長くなったが、今回は、その書籍「0点主義」についての感想を書きたいと思う。まずは、私が感銘を受けた部分を引用する。

今の時代、人が勉強という言葉でイメージするのは、「勉強という努力を重ねる⇒成功へと導かれる」というものだ。~省略~
そしてその具体的なゴールは、①社会的な成功 ②お金持ちになること ③仕事や業績により社会的な評価を得ること、の三つにほぼ収斂される。
すなわち、現代社会において、勉強とは何よりも世俗的な成功という目的を達成するための一手段として位置づけられているのだ。
だが、本来、勉強とは人生を豊かで楽しい物にする血の通った営みのはずだ。仕事も遊びも勉強になるのなら、勉強とは生きることそれ自体と言うことになる。毎日ご飯を食べたり、テレビを観たり、仕事をしたりすることが勉強になる、そういうものだ。
そんな勉強法を、本書では「アラマタ式0店主義の勉強法」(以下「0点主義勉強法」)と名付ける。~中略~
たんなる手段や道具としての「冷たい勉強」とは違う可能性を求める方法だ。~省略~
この「0点主義の勉強法」は、「冷たい勉強」がめざす成功をけっして排除するわけではない。けれども、むしろ「冷たい勉強」よりも結果的に大きな成功を得られる確立が高いから、0点主義の「熱い勉強法」をすすめるのだ。
なぜだろう? まず、「冷たい勉強」は非常に多くの人が参加しているものなので、必然的に競争が激しく、よほど抜きん出ないと成功を掴み取る勝者になれない。しかし、「0点主義の勉強法」では、基本的に自分だけが目を付けた問題を勉強していくので、競争相手も少ない独壇場の世界を築けるからだ。

 

本当はもっと引用したいところだが、ここまでとする。

本書を全て読んだ私が咀嚼すれば、こういうことだ。
誰もが勉強するもの、つまり、学校で教える学問を学び、名著と呼ばれる書籍などを読んでも競争は激しい。トップ1%に入らなければ、廉価な大衆品資源で終わる。そんな勉強は楽しくないし、投資としても面白みがない。

しかし、自分が好きな分野であれば、競争が少なく独壇場を築ける。ただそれには、そうとうな時間がかかる。それでもいいではないか。勉強は楽しいんでするものであるし、それでいつか評価されれば儲けものだ。評価されたときは、唯一無二の存在になり、独壇場となる。

「冷たい勉強」は厳しく短期的な成功しか得られない。しかし。0点主義の「熱い勉強法」は楽しく、そして大器晩成の人生が歩める。というのが、私の咀嚼だ。


私は、荒俣氏の考えに大いに強く共感する。
荒俣氏は、学生時代から学校の授業よりも図鑑を読むのが好きな子だったそうだ。かくいう私も、中学2年の時、学校の勉強は「全く楽しくないし、今後も楽しいと思わないだろう」と悟り、ドロップアウトした。

それから、同じようにドロップアウトした友人と、毎日のように遊び歩いた。仕事するようになってからは、自分が興味を持った分野を勉強するようになった。私としては、遊びの延長の感覚だった。好きな分野を学ぶのは楽しかった。まず興味を持ったのは、環境問題だ。書籍を大量に読みあさり、いつしか講演するようにまでになった。全国で30回は講演して歩いた。

次に興味を持ったのはマーケティングだ。年間500冊以上を超える書籍を読み、100枚を超えるCDを聞き、DVDを観た。セミナーにも何十回と参加した。その甲斐もあって、会社で実績を上げ、V字回復させることができたのだ。成果が上がるのが楽しくて仕方なかった。そして今では、私はマーケティングのコンサルをしている。

まだまだある。
マーケティングを学んでいく中で、コピーライティングに興味を持った。自分で研究し、ノウハウを蓄積した。そのノウハウの一部は、ネットでも公開している。自分のプロデュースのためというのもあるが、それ以上に、学び、考え、まとめたことを残しておきたいとの思いから、ネットにアップしているのだ。その影響もあって、コピーライティングの仕事などが入るようになった。

コピーを書く仕事をしていたら、デザインにも興味を持ち始めた。コピーは言語メッセージだが、デザインは非言語メッセージだ。しかし、何かしらのメッセージを発信していることには変わりない。そう思いデザインに関心を寄せ勉強した結果、それなりにデザインができるようになった。今では、紙媒体の広告物、販促物であれば、何でも作れる。

正直、仕事する時間を勉強にまわしたいぐらいだ。気がつけば私は、0点主義の勉強法をしていたのだ。私は学生時代から「面白くない」と思ったことは、とにかくやらない。その代わり、「面白い」と思ったものは、飽きるまでやり続ける。そんな私から見ると、やりたくない勉強を頑張れる人は、ある意味可哀想だとさえ思えてくる。なぜ、やりたくないことを必死でできるのか、頭では理解できても、心で理解できない。したほうが社会的に有利だと分かっていても、やっぱりできない、というのが私の感覚なのだ。

余談だが、好きな分野だけを勉強し続けてきて気づいたことがある。
それは、好きな分野を勉強していくにつれ、不思議と次に勉強したい分野が現れてくる、ということだ。これも、0点主義の勉強法の賜物なのだろう。

さて、話が脱線しそうなので、そろそろまとめに入る。
荒俣宏氏の書籍を読んで私が感じたのは、自分の勉強の仕方は間違っていなかったという妙な肯定感と、「同じ感性の人がいた!」という嬉しい気持ちだ。

もし、このブログを読んで共感したのなら、ぜひ、荒俣氏の書籍を買って読んでみて欲しい。書籍「0点主義」に限らず、ピンと来たものを読めばいいと思う。きっと荒俣氏は、どの書籍も楽しんで書いているはずだ。その空気を感じるだけでも意味があるのだと私は思う。