喫煙童貞者には、もう戻れない

私は便宜上、人前では「禁煙者」としている。しかし実は、喫煙者だ。ただ、毎日は吸わない。数ヶ月に一度、数本吸うぐらいだ。
別に禁煙しているわけではない。単に、喫煙から次の喫煙までの間隔が長いだけである。吸おうと思えばいつでも吸えるし、だからこそ吸わなくて済んでいるのだと思う。

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「禁煙」には無理が生じる。本当は止めたくないのに「止めなくては」と言い聞かせているからだ。そのため、数年止めていた人でさえ、たった一本吸ってしまったために元の喫煙者に戻ることさえある。本当に煙草が嫌いになったのなら、一本吸ったぐらいでは喫煙者に戻らない。てか、吸わない。

もう諦めたほうがいい。一度、煙草の美味を知ってしまった者は、喫煙童貞者が抱く喫煙への強い嫌悪感を持つことはできないのだ。そこは潔く諦めて、100(喫煙者):0(禁煙者)で考えるのではなく、5か10ぐらいの立ち位置に甘受するしかない。


私は、この100:0ではない半端な感覚を大切にしている。また、一つの思考訓練だとも考えている。100:0で考える癖が付くと、極論を展開するようになってしまう。
たとえば、一部のネトウヨが「朝鮮人はゆすりたかりの民族」「中国人は嘘付き」などと説いてヘイトするのは、思考を100に振り切っているからである。日本人でも、愛国民もいれば非国民もいる(何を持って愛国、非国なのかは、とりあえず置いておく)。当然、中国人、韓国人の中にも、日本の政治に理解を示す人だっている。韓国や中国との絶縁を望むのはやはり100に振り切った極論である。

思考が振り切っていると、分別までもができなくなる。政治の問題なのに「韓国のドラマ、映画なんか見るな」と文化までケチを付け始める。その点、韓国、中国のほうがまだ分別ができている。日本の政治に対しては憤りを感じていても、日本の文化は受け入れているからだ。このように、一概に考えず、分別して物事が見れるようになるためには、100:0ではない、半端な感覚を無下にしないことが大切だと私は考える。

禁煙できなかった私が、年20本以内に留められるようになったのは、「禁煙者に成り切れないが、限りなく禁煙者に近い喫煙者」という半端な立ち位置を受け入れたからだと思う。禁煙できなかった方、何かの参考にしてみなはれ。

最後は、アニメ『PSYCHO-PASS』、征陸智己の台詞で締める。
「正解はない。あるのは妥協だけだ」