人工知能が仕事を奪う未来、ベーシックインカムを導入するしかないよ

「人工知能は仕事を奪うのか?」。この議論をよく目にする(今日も見た)。
この手の話で毎回疑問に思うことがある。なぜ「奪われる」と表現するのだろうか? 「代用できる」とか「効率化する」と表現してもいいはずだ。人工知能には、仕事量100が20になるといった程度ではなく、100がゼロになるほどのインパクトがあり、それが各業界で起きるため「奪われる」となってしまうのかもしれない。

技術発展の視座から見て、人工知能に仕事を代用されるのは諸手を上げて喜んでもいいはず。人は、「ラクをしたい」「便利にしたい」というニーズを満たすため、科学や技術を発展させてきたのだから。この世にある仕事の半分は、仕事を無くすための仕事だ。洗濯機や食器洗浄機、冷蔵庫に炊飯器、電卓やパソコン、それにアプリケーション、すべて便利(仕事を減らす・なくす)ために作られてきた。

人工知能が実用化されれば、20年後には今存在する仕事の半分近くが消滅するとさえ言われている。今までに比ではないほど、仕事がなくなるスピードが加速する。このスピードに価値観と社会システムが追いついてきていない。

 

 

◆価値観

 

あなたにとって仕事とは何だろう?
私は仕事をこう定義している。「仕事=価値の提供×お金を稼ぐ」。人や社会のために価値を提供して、対価としてお金をもらう。シンプルに仕事を定義すれば、こうなると思う。

人工知能に仕事を奪われようとも、人や社会への価値提供はなくならない。人から人工知能に代わっただけだからだ。しかし、お金を稼ぐことができない。「人工知能に仕事が奪われる」と叫ぶ人たちの真意は、「お金を稼ぐことができなくなる」だ。確かに、収入源である仕事がなくなるのは問題だ。

この問題を契機に、仕事の定義を変える時が来た。「価値の提供」「お金を稼ぐ」を分離させて、「仕事=価値の提供」としなくてはいけない、いや、そうせざるを得ない時代になって来たのだ。

「それじゃどうやって食っていくんだよ」との声が聞こえてきそうだ。だから、社会を変えるしかない。施策の一つとして、ベーシックインカムが上げられる。国民一人一人に毎月一定のお金が振り込まれ、そのお金を糧に生活をする。贅沢をしたければ、少しだけ働いてお金を稼いでもいいだろう。

この話しをすると「財源はどうする」という反論が必ず出てくる。この反論に対して3つの反論がある。

一つ目は、あなたに反論をするほどの知識があるのか。
訊ねたい。あなたは国の年間税収と、その税収がどう振り分けられて使われているのかをご存知だろうか。国の決算書も知らずにまず税収云々の話などできない。何となく「財源足りないんじゃないか」という思い込みだけで、反論してはいけない。半端な知識や思い込みでは、議論するに値しない。

二つ目は、国民が財源を心配する必要がない。
日本は、世界トップクラスで税金が高い国だ。収入の20%~60%も税金で納めている。これだけ払っていて運営出来ないのは、税収の問題ではなく、運営(政府)の問題なのである。スイス・スウェーデンでは、ベーシックインカムを導入が検討されている。要は、リーダーたちの先見の明と決断の問題なのである。やると決めてから、税収や配分を決めればいい。

三つ目は、否応なく導入しざるを得なくなるから。
人工知能が働き扶持を奪っていくのは、もはや自明である。手をこまねいていれば、今まで以上のスピードで生活保受給者が増える。「生活保護」がベーシックインカムみたいな状態になるだけだ。もう気づいたほうがいい。今私たちは、椅子取りゲームをしている。椅子とは仕事であり、椅子の数と参加者(労働者)の数では、後者のほうが多いのだ。将来、人工知能に数少ない椅子までも奪われ、ついに参加者の過半数が椅子(仕事)に着けない状態となる。

 

 

◆社会

 

社会とは、「支え合いのシステム」である。
社会の始まりは、「群れ」にある。一人では生きられないため、群れ(集団)を作り、助け合い、ルールを設けて共存してきた。これが社会の基本形態である。国によって、助けい合い方やルールが異なるのは、置かれた環境や発展の仕方が異なったからだ。それぞれが環境や状況に順応した社会を作り上げて来た(失敗したところもあるが)。

環境が変わり、今の社会(システム)は生きづらくなってきたのであれば、それに応じて社会を変えなくてはいけない。人が社会に合わせるのではない。社会が人に合わせるのだ。仕事がなくなる環境下であれば、それに合わせて社会を変えなくてはいけない。

人工知能が人間に代わって労働市場を担っていく流れは避けられない。その状況下でも国民がよりよく生活できるにはどうしたらいいのか。ここから立脚して施策していくのが政治の仕事である。

このことがわかっていない政治家も多い。
たとえば、出生率の問題。出生率が年々低下しているのは、女性の社会進出、自由恋愛の導入、経済低迷などの要因が絡み、晩婚化が進み、結婚をしない、しても子どもを産まない人が増えてきたからだ。これはもう時代の趨勢であり、この流れは変えられない。社会の目的から考えれば、「未婚者でも幸せに暮らせる社会をどう作るか」が眼目に置かれるべきだが、どうにかして出生率を高めようとあの手この手の施策を打とうとする。これは、下りのエスカレーターを走って登ろうとしているのと同じ、時代に逆行している。今まで築き上げて来た、出生率2.0を下回らないことを前提とした年金制度を維持しようとしているためだ。つまり、社会のために国民(人)を変えようとしているわけであり、本来の社会のあり方から外れている。


社会の本来の目的に立ちかえり、ベーシックインカムも含む時代にあった社会とは何かを考えなくてはいけない時期に来ている。

 

AI時代の新・ベーシックインカム論 (光文社新書)

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