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悲しき映画『シン・ゴジラ』

書籍&映画

巷で「すごい!」と絶賛中の映画『シン・ゴジラ』。僕の目に映ったのは、ただただ悲しきゴジラ映画だった。

正直僕は、ゴジラに興味はない。特撮映画にも興味はない。では、なぜ観に行ったのか。それは、庵野監督が作るエヴァンゲリオン以外の作品を観てみたかったからだ。エヴァではない映画をどう撮るのだろうか。そんな興味を胸に『シン・ゴジラ』を観に行った。

だが、スクリーンに映し出された映画は、ゴジラを使ったエヴァンゲリオンだった。映像は確かに迫力がある。自衛隊の協力も得て、多種多様な武器が使われ、お金も時間もかけているのがわかる。原発事故に模して、日本への希望を描いているのもわかる。だが、カットもテンポも音楽もエヴァンゲリオンそのものだった。映画を見た人なら誰もが気づいたはずだ。ネット上に転がっている感想を見ると「エヴァ好きには堪らないよね」的なコメントをちらほら見受ける。私もエヴァ好きだが、こんなの全然うれしくない。エヴァは、エヴァでやってほしい。

なぜ、エヴァであることに違和感を覚えないんだ? 本来、ゴジラとエヴァは一切関係ない、別物の映画だ。エヴァから離れた映画を作れる(観れる)チャンスだったはず。なぜその映画でエヴァと同じ音楽を使うの? なんで同じようなカットにするの? 僕は劇中、終始心の中で叫んだ。「なんで、エヴァンゲリオンつくているんだよーー」と。

新劇場版『エヴァンゲリオンQ』では、破から14年後の世界を描いていた。みんな年を取り風貌も変わっていたが、エヴァのパイロットだけは年をとっていなかった。シンジはアスカにそことを尋ねると、「エヴァの呪いよ」と言った。このセリフは、庵野監督を投影していると思った。みんな年を重ねていき変わっていくけど、自分はまだエヴァを作っている、と。10年以上前と何も変わっていない、と。新劇場版を契機に自分は変われるのかという問いかけもあって、タイトルに「Q」があり、続く次回作には「シン」が付いているのだと思っている。

これも僕の勝手な考察だけど、『シン・ゴジラ』は、『シン・エヴァンゲリオン』を試される映画だったと思う。なぜなら、ゴジラは前からある作品であり、言うなれば焼き直しの映画となる。この構図は、エヴァと同じだ。エヴァもアニメがあり、新劇場版で焼き直ししている。そしてともに「シン」が付く。

新しい庵野監督の作品が観れる、そして『シン・エヴァンゲリオン』の手がかりも見つかるかもしれない。そう期待を膨らませて僕は劇場へ足を運んだのだが……。

「シン・ゴジラ」のシンには、「進化」「刷新」「神」の意味が込められていると思う。確かに、今までにないゴジラ映画だったかもしれない。しかし、そのゴジラ映画でエヴァを持ち出してきた。劇中に映るゴジラ映画は、僕の目に何の新しさも、何も進化も、神秘性も感じられなかった。大人向けで完成度の高い映画であると当時に、僕にとっては悲しい映画だった。杞憂であってほしい、読み違いであってほしい、悪い意味で『シン・エヴァンゲリオン』の手がかりを見てしまった気がする。エヴァは好きだが、いつかはエヴァと異なる作品、超える作品を撮ってほしいと切に願う。 反復終了記号