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「お食事の『取り分け』は女性がするもの」は、どこから来たのか

社会 考えてみた

「女の子ならできないと本当に恥ずかしいから。お食事の『取り分け』基本ルール確認」の記事が絶賛炎上中だ。

記事の見出しは、衆目を集めるようにあえて刺激的に書いていると思われる。女性に限らず、男性でも「取り分け」が出来るに越したことはない。それをあえて女性に限定しているのは、意図してのことだろう。※見出しは『釣り』ってことはよくあるからね。

とはいえ、合コンで取り分けしない女性たちの間で一人だけ取り分けする女性がいたら、その女性の好感度は上がるだろう。フェニミストからは「好感を抱く男性が男尊女卑を生む」とか「男性に媚を売る女性はクソ」とか言われるんだろうが、女性男性に限らず、機転がきく人の好感度が上がるものだ。だから男性でもすればいいし、私もしている。

ただ、確かに「女性が取り分けるもの」という慣習が未だ日本にあるのは事実だ。この慣習はどこからきたのか。私は「粋」から派生したと考えている。女性が取り分けする背景には、「食事代は男性」という不文律がある(少なからず、私はそう感じている)。部下が上司に取り分ける背景にも、「食事代は上司」という不文律がある。近頃は、男女間での割り勘が増え、奢らない上司もいるため、「女性だけ」「部下だけ」というのはフェアじゃないし、粋でもない。

今話したように、なんでも押し並べた「男女平等」とは別に、男性と女性に別々の役割があり、絶妙なバランス感覚で成り立っている関係性も一つの在り方なのだと思う。そのため、「女性が取り分けるもの」と同じように、「男性が食事を奢るもの」という慣習も存在している。男性が女性に奢ったりそれに甘えたりするのは、要は「男性を立てる」という行為であり、男女の間に生まれる一つの「粋」なのだ。こういった男女の間に生じる機微が分からなければ、「女性に雑用をさせている」と見え、悪い意味での「男尊女卑」に思えてしまうだろう。押し並べた男女平等の先にあるのは、男女の間に生まれる「粋」のない、または極めて薄い世界なのかもしれない。

 

 

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「いき」の構造 (講談社学術文庫)

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