東急電鉄のポスター「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」は、おかしなコピーではない。おかしいのは……

東急電鉄のポスターが物議を醸している。
批判の主は、「化粧することの何が迷惑だ」「じゃ、田舎の女はキレイじゃないのか」といったものだ。


私は、広告コピー「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」を読んだ時、コピーライターのはしくれとして、色々疑問に思うことがあった。まず、コピーライターとポスター制作は、分業だったのか。完成前にコピーライターの意見を聞かなかったのか、と。

なぜ、こんなことを思うのか。それは、広告コピーとポスターに一貫性が無いからだ。それを解説する前に、まずは広告コピーを分解しなくてはならない。

 

 

広告コピーを分解してみる

「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」
私の目から見て、このコピーはそれなりに熟慮されものだと思う。「みっともない」という言葉は、マナーやルールからの言葉ではない。モデルの女性の感受性(品性)から訴えかけている言葉だ。なぜ、そうしたのか。

まず、化粧には程度問題がある。がっつり化粧をする人もいれば、軽く化粧直しする人もいる。また、他の迷惑行為と違い、物理的に他人に迷惑を与えることも少ない。そのため、「化粧はマナー違反」と明確に線引きできないし、万人の賛同も得られにくい。こうした側面を考えれば、マナー違反(迷惑です)を含意したメッセージではなく、感受性の角度から攻めたほうがいいのではないか、と考えたのだろう。だから、「時々、みっともない」としたのだと思う。

次に「都会の女はみんなキレイだ。」である。あえて、カナ字で「キレイ」と書いている。カナ字で“きれい”を使う場合、「清潔感」の意味合いが強くなる。容姿の“きれい”を指すのであれば、平仮名の「きれい」か「綺麗」を使う。反感を買いそうな“きれい”をあえて避けているのが見て取れる。また、清潔感だからこそ、「みっともない」の意味が出てくる。通常、「みっともない」は、小汚い風体や行為に使ったりする言葉だ。

つまり「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」は、「都会の女性は、みんな清潔感があるのに、マナー違反とは言えないけど、時々、みっともない(小汚い)ことをするよね」という意味になる。そう推察しながら、私はこのコピーを読んだ。だがしかし。だがしかしである。

 

 

広告コピー以外はお粗末

広告コピーは、熟慮の痕が見られるが、それ以外はお粗末だ。ポスターの中央下には、こんな文字がある。「社内での化粧はご遠慮ください」

私がコピーライターなら、泣いてるね。
あえて、女性を起用して感受性の角度から化粧を慎むようメッセージを発信しているにも関わらず、東急電鉄が直球で「社内での化粧はご遠慮ください」と書いてしまっている。東急電鉄がそれを言ったら、化粧は「マナーやルールですよ」と言っているのと同じである。なんのための広告コピーだったのか。

それだけではない。このポスターは「都会」が前提になっている。違和感を覚えないだろうか。都会の電車が、ポスターのように席がガラ空きになっていることがあるだろうか。

つまり、広告コピーと最後のメッセージ、そして写真に一貫性が無いのだ。もし、「社内での化粧はご遠慮ください」の文字を消して、満員電車で化粧をしている写真であれば、啓発を目的とした広告として、より優れたものになっただろう。

 

伝え方が9割

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伝わっているか?

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名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方 (日経ビジネス文庫)

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