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「マスゴミ」と言う人は、メディアリテラシーが低い

マスコミを揶揄した言葉に「マスゴミ」がある。政治ネタを投稿することが比較的多い私だが、一度も「マスゴミ」と言ったことはない。マスコミを批判したこともないと思う。

自分なりの考えがあってのことだ。そもそも、どんな人が「マスゴミ」と言うのだろうか。この言葉を使う人は、自分の政治思想にとって都合の悪い報道、または都合のよい報道をしていないと感じた人たちである。つまりマスコミは、右に偏った報道をすれば左から「マスゴミ」と言われ、左に偏った報道をすれば右から「マスゴミ」と言われるのだ。マスコミも大変だね。

また、「マスゴミ」と言う人たちは皆、「公平な報道ではない」とも口にする。公平って何だろうか? どうやって公平かどうかを評定するのだろうか? 客観的に公平性を担保する方法ってあるのだろうか。そんなものはない。報道を見ている人がそもそも偏っているのだから、見る人によって公平であったりなかったりもする。「万人が公平性と思う報道」は存在しない。そもそも、そんなものは無理なのだ。

マスコミにも偏りはあると思う。スポンサーの影響によって報道されない事実もあるだろう。偏っていると分かっているのなら、読み手がチューニングすればいいだけの話だ。左右両方の情報誌を読み比べるとか、または、政治色の偏りが比較的少ない媒体を読むとか。情報に応じて、読み方や媒体を変えればいいだけの話だ。これが、メディアリテラシーだと私は思う。

私から見て、「マスゴミ」と言っている人は、「私はメディアリテラシーが低いです」と宣言しているに等しい。私はそんな宣言をしたくないので、マスゴミなどとは一切言わない。

加えて言えば、新聞社やテレビ局といった団体単位ではなく、記者やライターといった個単位で情報を追いかけたほうがいいだろう。私もネタに応じて「この手の話は、○○さんの話が聞けるまで見解は待とう」と判断したりしている。

最後にもう一点。「マスゴミ」と言う人たちは、自分たちの思想に対して「絶対に正しい」「こうあるべきだ」といった意識があるはずだ(それが怒りの源になっている)。それに反するマスコミが許せないのだろう。だが、「自分たちは絶対に正しい」と思っている時点で、バイアスがかかっているため公平な目で情報が見れなくなっている。

総論を言えば、「マスゴミ」と言っている時点で、情弱だ。

 

 

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