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「日本人って○○だよね」と言う人に足りないもの

「日本人って自分の意見を言わないよね」「日本人って職人堅気でマーケティング思考が足りないよね」「日本人ってみんなの意見に流されやすいよね」「日本人ってチャレンジ精神ないよね」。こんな意見を聞いたことはないだろうか? この言葉の裏には、概して否定的な意味が込められている。言っていることは事実だろうし、正論なんだと思う。だが私は、このような意見を“浅慮な意見”だなと思って聞いている。

国民の心性や国の文化は、長い歴史や背景があってそれが形成される。なんの本だか忘れてしまったが、とある本にこんな一文がありました。「日本人が自分の意見を主張しないのは、島国であり、隣の家が近くにあるような狭い村社会が形成されていたことに起因している。このような狭いコミュニティーでは、自分の意見をハッキリと言って波風を立てるよりも、当たり障りのないことを言っているほうが生きやすかったのである」と。

つまり、日本人が自分の意見をあまり主張しないのも、曖昧なことを言うのも、昔の日本社会において、それが「最適解」だっからなのである。これに限らず、国民に浸透した心性や文化は、それが「最適解」だっかからと考えられる。「日本人って○○だよね」(卑下)と言う人を見ては、「背忖する力が乏しいんだな」と思ってしまうのは、そういうわけだ。

グローバル化の波やテクノロジーの発展もあり、日本がおかれている環境や生活は大きく変わってきた。この変化の波に押されて、日本人が元来持つ価値観が古臭く、また非合理的に感じて、「日本人って○○だよね」と言いたくなる気持ちも分からなくはない。確かに、旧来の考え方は今の環境に適していないだろう。

これから日本人は、グローバル化した社会においての最適解を見つけていくのだろう。それが定着するのは、もう少し時間がかかるのではないだろうか。

「日本人って○○だよね」と言う人は、忖度する力が乏しいと言ったが、忖度する力は生活の場面でも大切になる。たとえば、人間関係。自分と意見の合わない人や価値観を持った人と出会うことはよくあることだ。そのとき、「この人はどうしてその意見や価値観になったんだろう」「その価値観を持つことで、何のメリットがあるんだろう」「何を守れるんだろう」と考えることは、相手を理解するためにも重要だ。これができない人と、意見の合わない人をすぐに「この人馬鹿なんだ」「馬鹿だから仕方ない」と結論付けてしまう。この言葉は、ネットの言論で散見する。しかも、自分と同じ意見の人としかつるまないため、ますます視野狭窄になり、読解力も日に日に乏しくなってしまう。

これらの事象は、テクノロジーがもたらした「最適解」なのだろうか。どうなるのか、生温かく見守っていきたいと思う。

 

 

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文脈力こそが知性である (角川新書)

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