いちいち「愛している」とか言うなよ。カッコ悪いだろ。

「“感謝”の反対語は、“当たり前”」といった言葉を何度か聞いたことがある。おそらく、あなたも聞いたことがあるだろう。これに派生してか、人間関係や恋愛においても、「感謝の言葉を述べましょう」「パートナーへの愛を言葉にしましょう」といった言説もまた耳にする。

間違ったことは言ってはいない。だが、なんだかこう、ムズムズする。感謝や愛を「言葉」にする行為に心理的な抵抗があるのだ。「毎日、パートナー(恋人や妻)に『愛しているよ』と言いましょう」などと言われると、反射的に「無理」と思ってしまう。仮に言ったとしても、自然と口から出た言葉ではなく、小手先の技としてその言葉を口にしているに過ぎない。この不自然さに心理的な抵抗を覚えるのだ。この感覚、男性なら共感する人が一定数いるだろう。

書籍『アンドロイドレディのキスは甘いのか』(著 黒川  伊保子)にこんな一文があった。

空間認識力の高い男性脳の拡張感覚は、女性脳よりもはるかに高く、バイクや車などのメカや道具を、自分の一部のように感じる。(中略)
自分の右手をわざわざ褒めないように、男たちは妻をお褒め続けたりしない。自分の右手に「愛してるよ」と言わないように、男たちは妻に愛を伝え続けない。
拡張感覚は感覚の低い女性脳(女性はその能力のほぼすべてを子どものために使う)は、ことばの絆を欲しがるのだが、男にはなかなかそれがわからない。もちろん、女がそれを欲しがるから言ってあげる、という優しい男子はいるけどね。
あるとき、知人が、結婚3年目の妻を「いのちよりも大事な◯◯さん」と表現したことがあり、私は、この人が妻に対して一体感がないことにびっっくりしてしまった。一体感のある相手に、普通、脳はこのことばを弾きだしてこない。私は、息子がのちより大事なだけれど、「命よりも大事な息子」だなんてわざわざ言ったりしない。「自分の右目を愛している」なんて言わないように。p99 

付き合い始めのカップルや新婚ならいざ知らず、3年以上も連れ添ったパートナーに愛の言葉を囁いている男性を見ると、私は得も言えぬ違和感を覚える。この違和感の正体が、本書を読んでわかった。一体感のなさ、しいていえば、新の意味で「認めていない」のだ。先述した、私が「愛している」と言葉にすることに抵抗を覚える謎も氷解した。

本書を読んだ瞬間に想起したのが、漫画『HUNTER×HUNTER』に出てくる台詞である。引用する。

ひとつ言っとくけど、次にこんなことがあっても、もういちいち礼とか言わないからな。だからもし今度逆にオレがお前を助けるようなことがあっても、お前もオレにありがとうとか言うなよ。友達が友達を助けるのは当然だろ。漫画『HUNTER×HUNTER』(キルア)より

カッコよ過ぎる。この言葉が無性にかっこいいと思った人は私だけではないはず。礼を言い合うような仲は、軽いんだよ。愛情を言葉にしている関係は浅いんだよ。「当たり前」に昇華してこそ、真の信頼し合っている間柄というものだ。とはいえ、この感覚、女性には理解できないようだ。

書籍『アンドロイドレディのキスは甘いのか』をもう少し引用したい。

女は、共に過ごしてきた日々を愛で合い、褒められたり、癒しのことばをもらったりしながら生きていくことを「愛の日々」だと思っている。なのに、男の愛は、拡張感覚は感覚。慣れ親しんだ女を、自分のからだの一部のように感じてしまうから、わざわざことばをかけなくなってしまうし、先立たれたら、身体の大事な一部をなくしたかのように、弱って死んでしまうのである。
どちらの愛が深いだろうか。
脳学的にも、人工知能論的にも、答えは、男性脳のそれ、である。女の愛は、人工知能で「ふり」ができるが、男の愛は、人工知能では実現しようがない。p101

アンドロイドレディのキスは甘いのか

アンドロイドレディのキスは甘いのか

 

本書を読んで思ったのは、「これじゃ、男と女はすれ違うよね」ということ。男がパートナーに感謝や愛の言葉を述べないのは、決して、感謝していない、愛していないからではない。その逆なのである。わざわざ言うに及ばない感覚になったからこそ、言葉にしなくなったのだ。