加害者の実名は公開するべきではない

長崎県佐世保市で、16歳の女子高生(16歳)が同級生を殺害するという痛ましい事件が起きた。今回の事件は、加害者が未成年にも関わらず残虐性に満ちていた。連日ニュースに取り上げられ、犯行を行った女子高生の生活環境や精神状態に今注目が集まっている。

今回の事件に限らず、未成年による殺人事件が起きた際、必ず世間から主張される論題がある。それは「加害者の実名を公開しろ」だ。もう少し具体的に言うと、亡くなった被害者の実名は公開され、なぜ、加害者の実名は公開されないのか。被害者ばかりが亡くなった後も人権を蹂躙されている、というものだ。

私はこうした論調には賛同できない。加害者の実名は公開すべきではないと考えている。
なぜ、そのように考えているのか、理由は2つある。

 

 

理由1 新たな罪を作るだけ

以前、大津市で中学二年生がいじめを苦にした自殺事件があった。事件直後、いじめに関与していたと思われる中学生の実名と顔写真がネット上に晒された。それだけではなく、その家族の名前と顔写真までもがネット上に晒され、多くの人の目に触れることとなった。加害者の親の元には、いたずら電話などが毎日かかってくるようになったという。

世間は、加害者だけではなくその家族までも私刑の対象とする。そうでなければ、わざわざ家族の名前や顔写真を晒したりはしない。私刑を下す人たちは、罪を犯した者とその家族には何をしても許されると思っているのだろうか。こうした倫理観の低い人たちがいる限り、私は加害者の実名は公開するべきではないと考えている。そうでなければ、事件とは無関係の人たちに罪を作らせる機会を与えてしまうからだ。
それに、「実名を公開しろ」と訴える人のほとんどは、事件とは何の関係もない人たちだ。こうした倫理観の低い無関係な人たちに罪を作らせないためにも、加害者の実名は公開するべきではないと考えている。

 

 

理由2  「加害者の実名公開するべき」は論理的におかしい

被害者だけ実名が公開され、亡き後も人権が蹂躙されているにも関わらず、加害者の実名は公開されずにいる。この現状に憤りを感じている人は多いだろう。私もこの現状は不公平だと感じている。
しかしだからといって、加害者の実名を公開するべきだと訴えるのは、論理的におかしい。もし、被害者の人権を尊重したいのであれば、被害者の実名公開を止めるように訴えるべきである。そのほうが公平かつ、被害者の人権も守られる。本当に被害者の人権を守ることに立脚しているのであれば、この結論に達するはずだ。だが、世論はそうならない。被害者の実名公開を止めるよう訴えているのではなく、加害者の実名公開を訴えている。なぜだろうか。

私の見解をストレートに書こう。
世間の本音は、被害者の人権を守りたいのではなく、加害者の人権を貶めたいのだ。「被害者ばかり人権を蹂躙されて可哀想」という言葉はただの建前であり、心の底では、非人道的な被害者を社会的に抹殺したいと考えている。そのために「被害者だけの実名公開は不公平だ。加害者の実名公開もするべき」という論調になる。

理由1の話に戻るが、このような本音を抱いている世間に加害者の実名を公開したら、加害者だけでなく、その家族までもが多大な被害を受けることになるだろう。社会はこうした負の感情を発散させてはならない。

先ほども述べたように、本当に被害者の人権を守りたいのであれば、被害者の実名公開を止めるよう訴えるべきである。加害者の実名公開を求めるのは筋違いであり、それは怒りの矛先を見つけようとしているだけの行為である。

 

 

まとめ

私は人権派弁護士のように加害者を守りたいわけではない。私自身、今の少年法には不満を持っており、未成年の刑も軽いとさえ考えている。ただ、この「加害者の実名公開」に関しては、公開するべきではないと考えている。それは加害者を守るためではなく、事件と関係ない人たちが無自覚な罪を作らないために、である。気を悪くした人もいるだろうが、私の意見を述べさせてもらった。

 

 

 

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