DNAの観点から見て、ハンディキャップを持った人を排斥してはならない

NHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体3 遺伝子・DNA 第6集 パンドラの箱は開かれた ~未来人の設計図~』という番組を7年ぐらい前にNHKオンデマンドで視聴した。



本番組で伝えられたDNAに関する情報が、私の「社会」に対する考えを大きく変えた。そして今もその影響は続いている。

社会認識として、「社会は弱者を守るべきである」というものがある(ここでいう弱者とは、ハンディキャップを持って生まれた人など)。
これは、倫理的に道徳的に述べられることが多い。私も以前はそのような視座で弱者を守るべきだと考えていた。しかし、今は違う。DNAの観点から見て社会は弱者を守るべきであると考えている。


本番組では、カリフォルニア州の出生前診断について解説されていた。
州は、費用の高い羊水検査を州が保障をしている。もし、胎児に何らかの障害が見つかった場合、半数が中絶するそうだ。国はそのことについてこのように述べていた。

先天的な病気を見つけることで、州の財政には大きなメリットがあります。それは、先天的な病気の数の子供が減るからです。障害者を支えるのに1人6000万円もかかる。


州のこの姿勢は、「弱者は金がかかるから、できれば、いないでほしい」という態度である。これに続く映像を見るまでは、私はこの州の制度を、「うん、いいんじゃない」と思っていた。だが、社会がこれでいいわけはないのだ。


次いで本番組では、「鎌状赤血球貧血症」を例にDNAの進化について解説していた。この「鎌状赤血球貧血症」は、本来柔らかいはずの赤血球が固く鎌状になってしまうため、血管を詰まらせてしまい、酸素をうまく運ぶことができなくなってしまう病気だ。この病気は特に黒人に多い。鎌状赤血球貧血症の発症は、ケニアから始まったとされている。
ケニアは慢性的にマラリアに苦しめられてきた国である。マラリラは血液を通じて各臓腑に運ばれ、臓器を破壊する。人類はこの病気に打ち勝つため、鎌状赤血球貧血症を生み出した。つまり、血液の流れを悪くすることでマラリアの害から身を守ったのだ。

一人一人の能力や免疫が皆違うのは、人類が生き残るためにDNAが多様性を求めているからだ。その進化の過程の中で病気が発症する。病気と見るのは狭義の見方であり、人類という広義から見れば、進化の一部なのである。


番組内では、遺伝子研究をしていた柳澤桂子さんが深厚な言葉を述べていた。

突然変異を起こして多様化していくことが地球に適応していくことなんです。多様化するときにはどうしても病気が出てしまう。人類としては仕方のないこと。
悪い遺伝子は個人から見たらあるかもしれませんが、社会から見たら悪い遺伝子なんてないんです。あってはいけないんです。もしあるとすれば、それは遺伝子が悪いのではなく社会が悪いんです。
何%かはハンディキャップを持った人たちが生まれますから、社会全体としてその人たちを支えていかなくてはいけない。個人の問題ではないんです。
ある割合で必ず出るわけですから、もし、ハンディキャップを持って生まれてきた人がいれば、自分ではなく、その人が代わりに持って生まれてきたわけですから、社会全体としてしっかり支えていかなくてはならない。


私はこの「自分ではなく、その人が代わりに持って生まれてきた」の一言に衝撃を受けた。この言葉を受けて、私の「社会」という見方が変わった気がする。

私たちは、DNA(アデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の組み合わせ)で成り立っている。その中には、病気の組み合わせもあるだろう。
人類全体を一つのDNAと見た場合、一人ひとりはDNAの一部(組み合わせの一部)である。つまり、私たちは個として成り立っているのではなく、一つの連なりとして成り立っているのだ。
だから、もしハンディキャップの生まれてきた人がいれば、たまたまその人が人類全体のために病気のDNAを引き受けたのであり、社会はその人たちを支えなくてはいけないのだ。

「社会とは、一つの連なりである」。
だからこそ見捨てたり、排斥してはいけないのである。

二重らせんの私―生命科学者の生まれるまで

二重らせんの私―生命科学者の生まれるまで

 

 

 

 関連記事