自分と人を不幸にするものの正体。それは「呪い」である。

私は、人を不幸にする主因は、「呪い」だと考えている。
「呪い」とは、藁人形に死んで欲しい人間の髪の毛を一本入れて、釘をさして、それを思いっきりトンカチで・・・ではない。自分を縛っている「~~してはいけない」という考えである。


分かりやすいのは、お金に関する事例だ。
たとえば、友人知人または金融機関から借金をしたとする。どうやっても返せない。そんな場合、かくなるうえは、自殺して保険金で払うか、または死んで詫びるという人が、世の中には一定数いる(自殺者の3割は借金が原因)。
自殺してしまうのは、「借りたら返さなくてはいけない」という考えがその人を縛っているからである。または、周りからの圧力がそうさせてしまうのだ。当然、借りたものは返すのは礼儀ではあるが、死を選択させてしまうのは、もはや「呪い」の域といえるだろう。

自分や他人に「死」を選択させるもの、それすなわち「呪い」である。

「借金返済しない奴は死ねばいい」と考えている人は、自分が借金漬けになった際、自殺する可能性は高い。他人への呪いは、同時に自分への呪いでもあるからだ。「人を呪わば穴二つ」という諺もあるが、言い得て妙である。


上記の話の流れで、生活保護についても触れよう。
私は、「生活が困窮して死を選ぶぐらいなら、生活保護を受ければいい、遠慮せずに積極的に受ければいい」と考えている。死は選択してはいけないものの一つだ。これは論をまたない。

この話をしたところ、ある若者に反論された。「それでは、社会に負担をかけるだけだ」と。では、そうすればいいのかと訊ねたところ、「生活保護を受けるような奴は死ねばいい」と返された。ヤフコメに書かれているような無秩序な極論に正直辟易したが、ただこの若者も強い呪いにかかっていると言える。自身が生活に困窮した際、彼は自殺する可能性が高いだろう。

私は社会について話したいのではなく、人を殺す、または不幸にするものについてだ。冒頭に書いたように、その主因は「呪い」にあると私は考えている。

自分や他人が不幸になる、または自殺に追いこんでしまうような「呪い」は手放せばいい。

では、どうやって手放せばいいのか。

その方法は、「妖怪」のせいにしてしまうことだ。
「おいおい、いくら『妖怪ウォッチ』が流行っているからって、それはないだろw」と思ったかもしれないが、真面目な話だ。「妖怪」が嫌なら、「時代」のせいでもいい。とにかく、人以外のせいにしてしまえばいいのだ。妖怪を失った現代、何か問題があれば、自分が悪いか他人が悪いかの二極論になりやすい。そうなると「誰か」が負を背負う羽目になる。

数百年前は、妖怪の存在がまことしやかに信じられていた。しかし科学が進み、妖怪なんていないことが分かった。人は、呪いを吐きだす有効な術を失ったのだ。私は、人が呪いを吐き出しそうとして作りだした偶像が妖怪なのではないかとさえ思っている。

人以外の何かに呪いを吐き出すことが、今の世知辛い世の中を生きていくための処世術なのだ。