行政の杓子定規な応対を改善するために必要な国民の懐の深さ

「自分は、民間企業では働けませんよ」。
とある行政機関で働いている男性の言葉だ。この言葉は、民間企業を卑下しているわけではない。自分は行政機関という特殊組織でしか働いた経験がなく、民間企業に順応できない、といった意味である。

彼曰く、今いる機関の仕事は単調でラク。上層部の人間は全く仕事をしないが高給取り。こんなぬるま湯組織に浸かっている自分が、民間企業で使いものになるとは到底思えないらしい。まぁ、そうだろう。

彼と会話していて感じたのは、「解雇」への恐怖だ。今の仕事を解雇されたとして、他の行政が自分を雇ってくれるとは思えない。ましてや民間企業が務まるとは思えない。そんな心情が言葉の端々に垣間見えた。おそらく、行政機関で働く人は、多かれ少なかれこれに近い認識を持っているのではないだろうか。

 

チャレンジしないのは当たり前

公務員は、失敗を極端に嫌がるのは知られた事実。チャレンジをしない。前例がないことはやりたがらない。担当者個人の裁量で決定しない。このような杓子定規な応対に苛立ちを覚えた経験がある人も多いのではないだろうか。私もその一人だ。しかし、それは仕方のないことだ。規定から外れたことをして失敗した時のリスクが、民間企業の比ではないからだ。チャレンジするよりは、規定通りに事を運ぶほうが働く人にとってみたら益がある。それが行政機関で働く人にとっての“最適化”であり、正解なのである。

 

チャレンジしたものの顰蹙(ひんしゅく)を買う

最近、よく目にするニュースに「萌えキャラ批判」がある。

三重県志摩市の公認キャラクター「碧志摩(あおしま)メグ」、岐阜県美濃加茂市がアニメ「のうりん」とコラボして作成したポスター。前者は「性的すぎて不快」と海女さんからも批判され、後者は「胸が大きて不快」と批判された。共に「女性蔑視」「女性差別」などと非難される始末。

 


萌えキャラに多少なりとも知見がある人なら分かると思うが、萌えキャラは決して「女性蔑視」でも「女性差別」でもない。萌えキャラを起用して、ある種のチャレンジをした市が批判を受けるのは、個人的には悲しい。批判したくなる女性の気持ちはよく分かる。だが、市としては大胆な行動をとったこの気概を私は評価したい。

 

寛容な心で見守ろう

杓子定規な行政機関が、世事に合わせようとしているのだから、多少、大目に見てあげてほしい。チャレンジする度、批判を受けていては「やっぱり、チャレンジしないほうがいいよね」となってしまう。

何でもそうだが、始めて何かをするときは、決まって“さじ加減”がよく分からない。初めてのことはちょっと行き過ぎてしまうことも多い。それらも含めて大目に見てあげてほしい。国民がそれぐらいの懐の深さがあれば、もっと柔軟性のある行政になるのではないだろうか。

 

 おっぱいがでかくて何が悪い。