「性的アイコンと化した制服は廃止するべき」←はぁ?

面白いツイートを見た。

色々突っ込み所あるんだけれど、いつから性的アイコン化したのか、男性のどれぐらいの割合で性的アイコンとして見ているのか、ほかの性的アイコン化した服装も廃止したほうがいいのとか、色々と疑問符が付く。一方的に「そうだから」と言われても困る。ちなみに私は、制服に性的興奮は覚えない。熟女好きってこともあるが、制服はあくまでも未成年を象徴するアイコンであり、未成年女性に興奮する人から見たら、制服は性的アイコンかもしれない。しかし、本質的には「未成年」であることが性的興奮の本性であり、制服ではないのかも。まぁ、それはどうでもいいや。

この方のTwitterをよく見たら、自身でTwitterの「投票機能」を使いフォロワーにアンケートを取っていた。

えーっと、自分自身で「制服は性的アイコン化現象」に共感が得られていないことを証明している(しかも、誘導質問までして)。その後に、冒頭のツイートをしているわけで。まぁ、持論を崩さない姿勢は感服する。

私が言いたいのは「制服は性的アイコンじゃないよ」ってことではない。私は彼のTwitterを見て、なんで制服があるのか、その役割を知らないんだなと感じた。だから、制服を廃止しよう、制服か私服かを選択できるようにしよう、などという論が出てくるわけだ。

 

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今の時代、制服はもっと義務化すべき

制服の着用を義務化する効果として「家庭の経済力を学校に持ち込ませない」がある。服は毎日着るため、家々の経済力が顕著に出てしまう。私服or制服の選択、または、制服の廃止をしてしまうと、服から家の経済力が垣間見えてしまう。結果、いじめなどに繋がりかねない。いじめにならないにしても、子供に余計な心労を与えてしまう。また、経済的に厳しい家庭に「私服代」という経済的負担まで強いることにもなる。経済格差が社会問題になっている昨今、制服着用の規則は、特に意味がある。

制服にちなんだ話だが、ランドセルの上限価格も規則化して欲しい。今、高いもので17万円もするランドセルがある。私が小学生の頃は、男は黒、女は赤しかなく、今ほど色のバリエーションもなかった。多色になるのはいいとしても、価格が10万円を超すとなると、ランドセルからも経済差が垣間見えてしまう。せめて公立は、規則化して欲しいと願う。

 

 

規則や習わしの恩恵も見よう

今このブログを読んだ人の多くは、“制服には、経済力を学校に持ち込まない働きがある”ことに初めて気づいたのではないだろうか。制服に限らず、規則や習わしには窮屈はあるものの、知らず知らずにそれに助けられていることがたくさんある。しかし、規制や習わしやはじめから存在しているため、助けられている部分に気がつく人は少ない。そのため、窮屈さや被害にばかり目がいってしまう。そして、小利口な人が「自由を!」「被害を受けている人がいる」と唱えはじめる。いつもこのパターン。以前これと同様の主旨を私は、夫婦別姓問題を題材に書いた。


夫婦同姓の憲法や習わしがあることによって、実は多くの争いや問題が回避されている。もし別姓になれば妻はどっちの墓に入るのか、子どもの姓はどうするのか、子どもはどっちの墓に入るのかなど、様々な争いや問題が生じる。夫婦同性にしていることで、これらの問題は発生せずに済む。


先にも述べた通り、規則や習わしは、始めから存在するため、その機能や恩恵に気づきにくい。だが、窮屈さや煩わしさには、目がいってしまう。制服や夫婦同姓もそうだが、昔からあるものに異を唱えるとき、これによりどんな恩恵を享受しているのかも、ちゃんと検証してみるべきだ。それをしたうえで、異を唱えるべきである。窮屈さや煩わしさだけを主張して、恩恵を俎上に上げないのはフェアではないだろ。

最後に、私は制服よりもチャイナドレスが好みです。