相模原・障害者施設の入所者19名死傷事件について

7月26日午前2時45分頃に起きた相模原市緑区の障害者支援施設「津久井やまゆり園」での大量殺人事件。あれから早3週間が経過しようとしている。犯行を企てたのは元職員・植松聖容疑者(26)。平成はじまって以来の惨殺事件となり、当然許されるべき行為ではない。極刑が下されるのが妥当だろう。

事件を知った当時、私は衝撃と共にいくつかの疑問がわいた。容疑者が元職員だったこと。事件前に衆議院議長に手紙を渡したこととその内容。すぐに自首したこと。思想犯である可能性が高いと感じた。手紙の内容からそれがもうかがえる。

衆議院議長大島理森様

 

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。


文責 植松 聖

彼の思想を要約すると「障害者は周りを不幸にする。だから安楽死をさせるべきだ。それが日本ひいては世界のためになる」になる。このような思想は当然間違っているし、ヒトラーと同じである。だからこそ、あのような事件が起きたのだ。

だが、彼はなぜこのような思想に至ったのか。私はこの点を知りたくなった。そう思った同時に、一つの疑念が生まれた。私も含め多くの国民は、障害者、障害者施設の現状をあまりにも知らな過ぎるのではないか、と。容疑者をまともな人間ではないと一蹴するのは簡単だ。だが、私は何も知らずして「容疑者が悪い、はい終わり」で済ませていいのだろうか。私は自分なりに調べてみることにした。施設にいた人、施設で働く人、また障害者と関わっている人の書籍などを読んでみた。


まずは、障害者施設で働く人の声を聞いてほしい(動画サムネの下にコメントの抜き出し引用を記述)。

60代になりましてそこに入ったんですね。もし20代とか30代であそこの職場に入っていたらその日のうちに辞めていました。もう普通の世界じゃないと思ったんです。それぐらいショックでした。入る時は障害者への理解があるつもりで、安い賃金でも「私でも役立てるんだな」というボランティアの気持ちだったんですけれども、その日のうちに打ち砕かれました。(60代女性)

障害者施設は厳しい労働環境であることがうかがえる。半端な精神力では務まらない仕事だろう。



続いて、軽度の障害者の立場から施設中の状況について書かれた書籍『もう施設には帰らない』を紹介したい。書籍の要点を列記していくが、その前に予め断っておきたいことがある。基本、この本は施設が嫌で出た方ばかりの話であるため意見が偏っている。総論的な声ではないことを留意してほしい。

・24時間監視下にある
・一部屋に数人の共同生活。プライベートの時間はない。
・人里離れた場所にある。隔離されていると感じる。
・見下したり怒鳴ったりいじめをする職員がいる。
・性・男女の話はタブーとされている。
・自由に外出ができない。する時は職員が同行。
・施設で自由だと思ったことはない。
・「管理」「家畜」に近い。
・殴ったり辱めを強いる職員がいる。

もう施設には帰らない―知的障害のある21人の声

もう施設には帰らない―知的障害のある21人の声

 

 

印象的だったのは、障害者の3分の一ぐらいは一度や二度は施設から逃げ出している点だった(多い人は30回以上)。書籍に登場した障害者たちは、会話や筆記ができる程度の軽度の障害である。そんな彼ら彼女らでさえ息苦しさを感じていたのだから、重度の障害者はいかほどなのだろうか。


続いて、重度の障害者を介護する方の著書『重い障害を生きるということ』(著者 高谷 清)の一文を紹介したい。

過日、外国のグループでの見学があった。その人たちは「かわいそうに」と表現していた。日本人グループでも、重い心身の障害で生きている姿を「かわいそう」と思い、そのように言葉にする人もあり、別に違和感はなかった。だが、よく聞いてみると、「これだけ重い障害があるのに生かされているのはかわいそうだ」という意味であった。
では、この人たちに医療をおこなわず、生活の介助をせず、死に委ねるのがよいのかということになる。それは違うであろう。だが、このように根本的には改善の余地がないように思える重い心身の障害のある人が、人生を生きていることがほんとうに幸せなのか、という問いが残る。(p2)

重い障害を生きるということ (岩波新書)

重い障害を生きるということ (岩波新書)

 

 

日本人のグループが発した「これだけ重い障害があるのに生かされているのはかわいそうだ」は、一歩間違えば植松容疑者と近い思想となる。「生かされているのがかわいそうは」「死なせてあげたほうがいい」に極めて近いニュアンスがあるからだ。見学した人でさえ、このような感想を残すのだから、今回の事件は単に異常者の犯行と一蹴できないかもしれない。

引用にもあるように、重い心身の障害のある人は人生を生きていることがほんとうに幸せなのだろうか。その問いに対して著者は巻末にこう記した。

「生きているのがかわいそうだ」「生きているほうがよいのであろうか」ではなく、「生きていることが快適である」「生きている喜びがある」という状態が可能であり、そのことを実現していくことが、直接かかわっている人の役割であり、そのようなことがなされるように社会的なとりくみをおこなうこととが社会の役割であり、人間社会の在りようではないかと思うのである。(p192)

障害者が「かわいそうか/そうではないか」ではなく、障害者が生きやすい社会を作ることが社会の役割なのだと説く。これはまさにその通りだ。

植松聖容疑者は、「重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました」と手紙に綴っていたが、そうではなく、よりよい答えを社会が作り出さなければならないのだ。

ここで言う「社会」とは施設のみを指しているわけではない。私たち個人も社会の一員であり、そして地域の住民たちも障害者たちが生きやすいやすい世界を作る一翼を担わなければならないのだ。

改めて考えたい。日本は障害者やお年寄りに優しい国だろうか。私はそうではないと思う。いや、正直に言おう。ついこの間まで、日本は障害者に優しい国だと思っていた。バリアフリーは完備されつつあり、歩道にも障害者が歩き易いように舗装されている。福祉サービスも充実しているし、先進国の中ではそこそこ良い方ではないのかと、そう思っていた。だが、この考えがそもそも間違っていたようだ。この考えは、すべて他人任せの発想だ。

書籍『意識をデザインする仕事』(須藤シンジ)にこんな一文がある。

マチの中を見渡してみても、疑問は尽きない。 日本はバリアフリー化が進み、都心部の歩道にでこぼこは少ないし、あらゆうところにエレベーターやエスカレーターが設置されている。(中略)
加えて、障害者や高齢者に対数行政の福祉サービスも充実が図られてきた。 こう書き連ねてみると、一見、高齢者や障害者に、”やさしい国”のように見える。 でも、本当にそうだろうか。 たとえば、車いすの人が電車に乗るシーンを思い浮かべてほしい。日本では駅員さんが数人がかりで乗車を手伝っている光景をよく見かける。手厚いサービスとも言えるが、車いすの人にとってみれば、係員がいなければ電車にもバスにも乗れない空気を作り出している。 ひるがえって海外はどうだろうか。たとえばヨーロッパ。僕は仕事や旅行で頻繁にEU諸国などを石畳の美しい都市を訪問している。 石畳は景観的には風情があって素晴らしいが、車いすの人や足の不自由なお年寄りにとっては、でこぼこした段差は障壁でしかない。 それでも、EU諸国のほとんどはすべての道路を平らにしようなどとは考えない。むしろ、コストと手間をかけて、歴史ある石畳を残していこうとしている。 そして何よい素晴らしいのは、車いすの人も、お年寄りもひとりで平気でマチへと出てることだ。乗り物に乗るときは、近くに居合わせた人たちが、「手伝いますよ。ちょっときみ、そっち持って’などと声をかけあってサポートするのが、ごく自然で、当たり前のことだからだ。(p39–41)

 

建物や道路の段差などの物理的なバリアよりも、僕たちの心の中にある「意識のバリア」のほうが、はるかに根が深く、実は大きな社会課題なのではないか。 それが障害者の父親になった僕の最初の気づきだった。(p43)

意識をデザインする仕事 「福祉の常識」を覆すピープルデザインが目指すもの

意識をデザインする仕事 「福祉の常識」を覆すピープルデザインが目指すもの

 

 

「社会」という言葉には、当然「自分」も含まれている。私たちは知らず知らずのうちに「意識のバリア」を作り、障害者の方々を排他していたのだ。それに気づかせる質問がある。

「佐藤、鈴木、高橋 、田中という苗字の友達がいる人はいますか?」 おそらくほぼ全員の方が手を挙げるだろう。 もうひとつ、質問。 「では、障害者と言われる友人がいる人はいますか?」 どうだろう。たぶん、一気に数が減るのではないだろうか。(中略)
最初に挙げた4つの苗字は、「日本で一番多い苗字ベスト4」で、おおよそ660万人いるとされている(2013年12月、明治安田生命調べ)。これに対して、日本で障害者と言われる人数は、およそ741万人(内閣府「障害者白書」2013年度版より」。(中略)
しかし日本では、障害のある人と健常者との接点はほとんどないのが実情だ。(p35–36)

どうだろうか。私と同じように、最初の質問には手は挙がったが、最後の質問では手が下がったのではないだろうか。私たちは、施設や福祉サービス、そしてバリアフリーに押しつけ、見て見ないふりをしていたのではないだろうか。そして、場合によっては差別も。



『福祉を変える経営』(著者 小倉 昌男)に書かれている、著者が見てきた現実を紹介しよう。

ある障害者が、「私は障害を持って生まれてきたことを不幸とは思わないが、日本の国に生まれたことを不幸とだと思う」と言ったと伝えられているのが、この言葉の意味するものは深いものがある。 日本の国は障害者にとって住み難い国である。(p1)

 

共同作業所を回って歩くと、みんな作業所をつくるのに苦労しています。作業所が精神障害者の働く場とわかると町を挙げて反対運動が起きることが多いからです。いまだにそうです。設置に苦労された作業所の方に直接聞いた話ですが、ある町で精神障害者の方のために作業所をつくろうとしたら、町の人にはっきりと言われたそうです。「そんな施設をつくるなんて怖い。そういう施設の意義は認めるけれど、私の町内に作ることだけは反対する」 こんな差別的な発言を一般お人にぶつけられることがいまだにあると聞きます。ですから、障害者を抱える方たちは非常に苦労している。善意の人々から寄付をいただいたりして一生懸命資金を貯めていざ共同作業所の建築要請をしようとすると、とたんに周囲から反対運動が起こってしまって、一向に建設が始められないという話は、この仕事を始めて直接何度も聞きました。(p55)

福祉を変える経営~障害者の月給1万円からの脱出

福祉を変える経営~障害者の月給1万円からの脱出

 

 

今回の事件を受けて、「弱者である障害者を殺害するなんて許せない」という声はもちろん正論ではある。だが、私たち一人一人が障害者に対して何か親切な行為をしてあげただろうか。車椅子一つ引いてあげたのだろうか。もし障害者が生きにくいと感じているならば、それは社会全体の問題なのだと思う。

最後にもう一度、『重い障害を生きるということ』の著者 高谷 清 氏の言葉を思い出してほしい。

「生きている喜びがある」という状態が可能であり、そのことを実現していくことが、直接かかわっている人の役割であり、そのようなことがなされるように社会的なとりくみをおこなうこととが社会の役割であり、人間社会の在りようではないかと思うのである。

 

 

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