東急電鉄のポスターが物議を醸している。
批判の主は、「化粧することの何が迷惑だ」「じゃ、田舎の女はキレイじゃないのか」といったものだ。
東急電鉄のポスター。社内での化粧は、粉が飛び散ったり匂いがキツかったり車内や他人の服を汚す可能性があるから迷惑だしやめてねというのならわかるんですけど、鉄道会社にキレイだとかみっともないとか言われる筋合いはないと思います。 pic.twitter.com/rpZt1NEy14
— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年10月25日
私は、広告コピー「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」を読んだ時、コピーライターのはしくれとして、色々疑問に思うことがあった。まず、コピーライターとポスター制作は、分業だったのか。完成前にコピーライターの意見を聞かなかったのか、と。
なぜ、こんなことを思うのか。それは、広告コピーとポスターに一貫性が無いからだ。それを解説する前に、まずは広告コピーを分解しなくてはならない。
広告コピーを分解してみる
「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」
私の目から見て、このコピーはそれなりに熟慮されものだと思う。「みっともない」という言葉は、マナーやルールからの言葉ではない。モデルの女性の感受性(品性)から訴えかけている言葉だ。なぜ、そうしたのか。
まず、化粧には程度問題がある。がっつり化粧をする人もいれば、軽く化粧直しする人もいる。また、他の迷惑行為と違い、物理的に他人に迷惑を与えることも少ない。そのため、「化粧はマナー違反」と明確に線引きできないし、万人の賛同も得られにくい。こうした側面を考えれば、マナー違反(迷惑です)を含意したメッセージではなく、感受性の角度から攻めたほうがいいのではないか、と考えたのだろう。だから、「時々、みっともない」としたのだと思う。
次に「都会の女はみんなキレイだ。」である。あえて、カナ字で「キレイ」と書いている。カナ字で“きれい”を使う場合、「清潔感」の意味合いが強くなる。容姿の“きれい”を指すのであれば、平仮名の「きれい」か「綺麗」を使う。反感を買いそうな“きれい”をあえて避けているのが見て取れる。また、清潔感だからこそ、「みっともない」の意味が出てくる。通常、「みっともない」は、小汚い風体や行為に使ったりする言葉だ。
つまり「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」は、「都会の女性は、みんな清潔感があるのに、マナー違反とは言えないけど、時々、みっともない(小汚い)ことをするよね」という意味になる。そう推察しながら、私はこのコピーを読んだ。だがしかし。だがしかしである。
広告コピー以外はお粗末
広告コピーは、熟慮の痕が見られるが、それ以外はお粗末だ。ポスターの中央下には、こんな文字がある。「社内での化粧はご遠慮ください」
私がコピーライターなら、泣いてるね。
あえて、女性を起用して感受性の角度から化粧を慎むようメッセージを発信しているにも関わらず、東急電鉄が直球で「社内での化粧はご遠慮ください」と書いてしまっている。東急電鉄がそれを言ったら、化粧は「マナーやルールですよ」と言っているのと同じである。なんのための広告コピーだったのか。
それだけではない。このポスターは「都会」が前提になっている。違和感を覚えないだろうか。都会の電車が、ポスターのように席がガラ空きになっていることがあるだろうか。
つまり、広告コピーと最後のメッセージ、そして写真に一貫性が無いのだ。もし、「社内での化粧はご遠慮ください」の文字を消して、満員電車で化粧をしている写真であれば、啓発を目的とした広告として、より優れたものになっただろう。