SNSがもたらした二つの娯楽

ちきりんのツイートにリプを送ったら返信がもらえた。うれピ。


今回は、この話に通じた話題を今回はしたいと思う。

 

 

SNSがもたらした二つの娯楽(快感)

SNSは二つの娯楽(快感)を与えた。一つが前出の「正義の娯楽化」である。以前にもこちら記事でも書いたが要約したいと思う。

「人間が集団生活をする上でルールを破ったものに罰を与える必要があった。とはいえ、罰を与えることに気が引けていては、秩序が保たれない。そこで人間の脳は、ルールを破ったもの(悪)に罰を与えることへ快感を覚えるようになった。進化上、人間の脳の構造はそのようになっている。」というもの。

つまり人は、悪人に石を投げるのがこの上なく快感なのだ。SNSが普及する前は、法の裁きに任せるしかなかったが、SNS普及後、不特定多数が悪人に対して石を投げられるようになった。これが堪らなく気持ちいい。だからみんな止められない。

本来、関係者であれ、無関係者であれ、私刑をするのは法治国家として許されない。詳しくはこちらのエントリーで書いたので参照してほしい。(でも、やめられないんだな)


二つ目は、「承認の娯楽化」である。SNSが普及するようになって、承認欲求が満たされやすくなった。Facebookではリア充自慢。Twitterでは自虐自慢。どちらも承認欲求を満たしていることには変わりない。この承認欲求が満たされる感覚は、これがまた気持ちいいのである。そのため、SNS中毒になる人も多い。なんでも、米カリフォルニア大学の研究チームによると、SNSで付くたくさんいいね!は、脳の中でセックスのことを考える時と同じ部分が刺激されることが分かったそうだ。承認欲求、チョー気持ちいい。

SNSがもたらした二つの娯楽は、時に相乗効果を生む。リアル世界では、マナーの悪い人に注意さえもできない人や承認欲求が満たされない人でも、SNSを使えば、悪人を吊し上げて集団ボッコに加担して承認欲求まで満たされる。あぁなにこれ最高じゃん。もうセックスする必要ないね。


正義と承認の娯楽化は、もう絶えることはない。ゲームやアニメに並ぶ、新しい娯楽になりえるだろう(もうなっている?)。拡張した正義や承認欲求がどのように社会に影響を与えるのか。なんとなく見えているけど、楽しみでもあり、恐怖でもある。