愛情の多寡の所為にしない

先日、考えさせるブログを読んだ。

 
このブログでは、「結婚相手が子供を産めないから離婚した」という男性が出てくる。その男性の人格もちょっとどうかと思う部分はあるのだが、ブログ筆者のある言説に対して一つ反論したい。
 
反論したい言説とは

子供が産めないという理由で離婚するなら、それは大して相手を好きではないのだ。


私は、離婚理由を安易に愛情の多寡の所為にするのが嫌いだ。思考停止だから。なぜ、思考停止なのか。理由は2つある。
 
一つ目は、何でも使える万能テンプレだから。
「○○という理由で離婚するなら、それは大して好きではない」は、どんな場合でも相手を貶めることができる。
 
・無職になったという理由で離婚するなら、大して好きではない。
・不倫したという理由で離婚するなら、大して好きではない。
・子育てに協力しないという理由で離婚するなら、大して好きではない。
・精神病になったという理由で離婚するなら、大して好きではない。
・薬物依存症になったという理由だけで離婚するなら、大して好きではない。
 
 
このように、これを言っていれば万事OKなわけだ。


今あげた例文を見て、「いやいやいやいや。それ十分離婚に値する理由でしょ」と突っ込んだ人もいると思う。


そこが二つ目の理由。
離婚に値する事柄かは、人によって違うってこと。他人から見て、「えっそんなこと」と思えることでも、本人にとっては重要なことってことはよくある。「そんなことで離婚するの?」ではなく、「あなたにとって離婚に値することなんだね」と受け入れるのが、他人の価値観を認める態度なんだと私は思う。

「それぐらいの愛情だった」と言ってしまうのは、ブログ筆者の価値観を押し付けているだけだ。「自分だったら離婚に値しない。だから、この男性の愛情ははじめから大したものじゃなかった」と。

以上の理由から、愛情の多寡の所為にするのは、思考停止だなと思った次第です。

 

 

PS

友人がもっと斜め上から反論していて、「そもそも、なぜ結婚相手を好きでなければいけないのか?」と言っていた。なるへそ。確かに、これからの時代好きじゃない相手と結婚するっていうパターンも増えてくるだろう。恋愛を飛び越えて結婚をするっという形が。

 

 

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