無自覚な差別

 

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仕事帰りの新幹線、いつものように時間を持て余す。座席に挟んである搭載誌に手を伸ばしてページをめくっていたら、一つの寄稿記事に目が留まった。筆者は、ホームレスの救済活動をしている男性だ。

記事には、ホームレスを救済するための募金活動をしていると、多方から「ホームレスなんて自業自得だ」「自己責任だろ」といった批判を投げかけられるとあった。彼も以前は同じように考えていたらしい。だが、現状を知るに連れ、「自己責任」の一言で片づけられない背景(知的障害や幼少期の虐待、貧困)を知り、救済活動をするに至ったようだ。

彼は言う。「背景を知らない人が大勢いる」と。確かにそうだ。

だが私は、記事を読み、根本的な部分は“そこじゃない”と思った。関心がないのも募金が集まらないのも、要はホームレスが可愛くないからだ。

以前、友人からこんな話を聞いた。
学生時代、とある女性がクラスの前で夢を発表した。「貧困に苦しむアフリカの子供を助ける活動をしたい」と。友人はそれを聞き、「そんな遠くにいる子供より、もっと身近なホームレスに手を差し伸べればいいじゃないか」と言った。すると彼女は「それは嫌だ」と答えたそうだ。

人は、無自覚ながら「容姿差別」をしている。
事実、私的支援は圧倒的に「子供対象」にお金が集まる。小さい子供の写真を見せられると憐みを感じるが、一方でおっさんの写真には小指の先ほどの同情心も芽生えない。人間とは、そんなものである。

今日、歯医者の受付でニュースを見ていたら、「子供食堂が2年間で7倍も増えた」という報道を見た。「大人食堂」では無理だろう。

 

 

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「なんとかする」子どもの貧困 (角川新書)

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