東京都目黒区で起きた5歳女児の虐待死は、日本中に大きな衝撃を与えた。私もニュースを見ていて胸が潰れる思いだった。とりわけ、女児が残したノートは平静を保ったまま読むことができない。親から虐待されないように努めようとする健気さや日常の苦しみが伝わってくるからだ。私のみならず、このノートは多くの人の心を動かした。政治的な動きにも発展している。
なぜ、ノートは人の心を動かしたのか。
私はこの一連の流れを見ていて、ヨーロッパがシリア難民を受け入れるようになった“一枚の写真”と似ていると感じた。一枚の写真とは、トルコのリゾート地のビーチに横たわるシリア少年の遺体が映った写真だ。
シリアから亡命するには、ボートで海を渡らなくてはいけない。その際、転覆する事故が頻出する。この事実は、ヨーロッパの人たちは知っていたが、それでも難民受け入れには難色を示していた。それが、先の写真が報道されると流れが一変。難民問題に消極的だった国も、難民を受け入れる政策を進めるようになったのだ。
「ノート」と「写真」この二つに共通しているのは、リアリティーだ。客観的な事実だけを報道で伝えられても、人は、深く感情移入することができない。リアリティーを伴った情報を見せられた時、人は想像力が喚起され、深く感情移入ができるようになる。
ただ、日本人はリアリティーを避ける傾向がある。リアルは大抵の場合、刺激が強いからだ。しかし、刺激の強いリアルを避けている限り、問題を直視することはできないのではないだろうか。
今回はたまたまノートが公表されたため、私たちはリアルに触れることができた。もっと早くに触れていれば、助けられる命があったのかもしれない。