AIは仕事を奪う? 奪わない? AIが普及すればBIの必要性が高まる

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AIは仕事を「奪う派」と「奪わない派」がある。奪う派の論は散見するため、ここではあえて説明はしない。

珍しいのは、奪わない派の論だ。
ネット上でいくつか見てみたら、
① 奪うのではなく労働者を補助するツールになる。
② ITも雇用を減らす言われてきたが、新しい雇用を生んだ。

がある。

ほかにも論はありますが、多く目に付いたのは以上の2つ。私自身は「奪う派」の論者である。なので、奪わない派の論に軽く反論してみようと思う。

 

 

AIは仕事を奪わない派への反論

①への反論は、見ている年数がおそらく短い。ITが今でも進化しているように、AIも30年以上の視点で見るべきだ。ITで喩えると、今はまだWindows95が発売される10年前にあたる。出始めた頃は、確かに人間の補助的な役割を担うだろう。だが、技術の進歩に伴い、AIのみで仕事が完結するようになり、次第に雇用を減らすようになると考える。

②への反論は、AIが雇用を生む想像ができない(私の頭が足りないせいかもしれないが……)。ITは雇用を減らした面もあるが、新しい産業(雇用)も生み出した。しかし、AIが何かの産業を生み出すとはちょっと考えにくい。生み出したとしても、奪う雇用と生み出す雇用では前者が圧倒的に多いだろう。

 


「革新的」3つの定義

少し話は変わるが、
革新的なものの価値を測るのに、私は3つの尺度があると考えている。

❶ どれだけ新しい産業を生んだのか。
❷ どれだけ既存の産業を減らしたのか。
❸ どれだけ人々に新しい価値観を与えたのか。

ネットは主に❶(❷もあるけど)。産業革命(機械化)は主に❷。テレビゲーム機やiPhoneは主に❸。そして、AIは❷に属すると考える。

 

 

AIは人類を労働から解放する

そもそも、雇用を奪われるのは本来ありがたいことなのだ。仕事をしなくても済むのだから。「それだと収入が途絶えてしまう」と思うかもしれない。そこに本質的な問題がある。労働と収入がセットになっていることが問題なのだ。

AIが人間に代わって仕事をする社会では、人類は労働と収入を切り離したほうがいい。社会システムは、環境に応じて変化するべきであり、また、そうしないと無理が生じてしまう。環境変化に社会システムが対応せず、既存システムのままAIが台頭すれば、困る人も多くなるのは当たり前の話である。

問いの立て方がおかしいのだ。
「AIが仕事を奪う、どうしたものか」ではなく、「AIが仕事をしてくれる世界において、我々は社会システムをどう対応させていけばいいのか」と問わなくてはならない。

 

 

AIが普及すればBIが必要になる

そこで私が注目しているのが、ベーシックインカム(BI)である。
日本でも「BIを導入したほうがいい」と唱える人が増えてきた。能力のない人は、労働市場からどんどん退場してもらい、能力のある人はAIと二人三脚で価値を生み出してもらったほうが生産的である。そして最終的には、人類のほとんどが労働しなくて済む社会になる。

ここで言う労働とは、収入がセットになっている労働を指す。しかし、AIが人間に代わって仕事をする社会は、「収入のことを考えずに好きな仕事をする=労働」といった価値観になるのではないだろうか。いやもしかしたら、仕事はお金を払ってするものになるかもしれない。それぐらい価値観が転換すると思うし、そうなったら面白いと思う。

気づいている人は少ないのだが、BIは社会主義システムの一部(正確には、「一部」と言う表現は正しくはない)だ。今の資本主義が抱えている問題は、一部の人間に富が集中する点である。AIが普及すれば、それは一層顕著になるだろう。富が一部に集中し、かつ、下流には労働先がない。こうなったとき、資本主義の中に社会主義システムを一部入れるようになるのではないか、また、したほうがいいのではないかと私は思うわけだ。

 

 

まとめ

おかしなことを言っているようにも聞こえただろうが、私が言いたいことは、今後ますます労働環境が大きな変化を迎えるにもかかわらず、社会システムをいじらずに維持できるのか?ってことだ。

 

 

 

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