学校は、人生で最も友達が作れる場所

「学校は、年齢が同じ子たちが一つの空間に押し込められる特殊空間。社会に出てからそんな環境は存在しない。だから、社会人に必要なコミュニケーション能力は育たない。それに、今はネットでも勉強はできる。無理に学校に行く必要はない」といった意見を目にした。

学校環境に批判的な意見だが、私も同意見である。しかし、だからといってあの特殊空間が全くの無駄かといえば、そうとは思わない。

社会から見たら学校は特殊空間だが、「友達を作る」という意味において、これ以上ない空間なのである。私が言う友達とは、「休日に一緒に遊び、一緒にお金を使う相手」である。

友達関係の成立には、3つの条件が必要になる。
1つ目は、年齢が同じであること。2つ目は、社会的地位が同じであること。3つ目は、利害関係がないこと。この条件が揃わないと友達関係は成立しない。一言で言えば、「対等」が担保されていなければ、友達関係は成立しないということだ。

友達と一緒に起業すれば、大抵の場合、友達関係は破たんする。上記の条件が壊れるからだ。社会人になってからは、仕事仲間はできても「友達」は中々できない。これもまた、条件が揃わないからである。「釣りバカ日誌」のような、会社では社長と従業員の関係、でも休日は「釣り友達」なんてことは、通常はあり得ないのだ。

とはいえ、社会人になってから「友達」がいなくて困ることはない。人生においての重要性が下るからだ。月に1度、遊ぶ友達がいれば十分である。

しかし、学生時代における友達の重要度は高い。子供は友達を欲し、この時期でしか3条件が揃う場(学校)が、人生においてほかにないからだ。

学校にはいじめ問題やカースト問題などもあるが、これらの問題も「対等」を欠いたことで起きる現象の一つだと私は見ている。人間は大人であろうが子供であろうが、一定数の人数が集まると何かしらの差(階級)を無意識に作ってしまうものかもしれない。完璧ではないものの、それでも友達を作る空間としては、これ以上のものはない。

「子供の頃から友達はいらない。大人になってからは必要ないから」と切り捨てて考えることもできるが、個人的には淋しい気がする。

 

 

 

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