安倍派と反安倍派は、なぜ議論にならないのか

安倍派と反安倍派は、議論できないと私は思っている。その理由は、思想が違うとか、考え方が違うとか、そんな生ぬるいものではない。議論の命題が共通されていないのが根本的な理由なのだ。

議論には、隠れた命題(前提)がなければ成立しない(しにくい)。企業なら、「顧客に価値を提供し、利益を上げる」が命題としてある。これは誰もわざわざ口にしないが、当たり前の前提としてある。だから議論は成立する。しかし残念ながら、今の日本の政治は、この命題が共通されていないのだ。

右も左も、安倍派も反安倍派も、日本の繁栄を望んでいる。私は一応そう信じている。だが、前提となる命題が異なっているため、お互いを批判ばかりし合うようになってしまうのだ。

反安倍派は、「民主主義国家(国民主権)」を命題(前提)にしている。つまり、民主主義国家としての繁栄を望んでいるのだ。一方安倍派は、この「民主主義国家(国民主権)」という前提を捨てている。そのため、憲法にある人権や国民主権を無視、または軽視しているのだ(ただ、建前は民主主義を謳っている)。

杉田議員の「LGBTは生産性がない」の発言もしかり。この考え方は、憲法13条、14条に反する。これについて、自民党は何ら処罰をせず、杉田議員も反省の言葉は一言もなかった。

稲田元防衛大臣は、7月29日に法曹界の護憲派を「憲法教という新興宗教」「憲法教」とツイート。誤解を招く表現だったと言い、30日には削除したが、誤解も何も、稲田氏は元からこういう考えの人間だ。

国民の生活が第一なんて政治は間違っていると思います。
国民の一人ひとり、みなさん方の一人ひとり、自分の国は自分で護る。そして、自分の国を護るには、血を流す覚悟をしなくてはいけないんです。決死の覚悟無くして、この国は護れません。

完全に戦前思想である。現行憲法などどうでもいいと思っている人間の主張だ。

 

 

 自民党の片山さつき氏は、6年前にこんなツイートをしている。

憲法にある「基本的人権」に関して無知なのか、それともあえて無視しているのか、どちらか分からないが、軽視していることは確かである。

 

 

 自民党の元法務大臣 長勢甚遠氏も以下の動画で中々香ばしいことを述べている。

この三つ(国民主権、基本的人権、平和主義)をなくさなければ、本当の自主憲法にならないんですよ。

お分かりだろうか。自民党は前提となる民主主義や基本的人権、ひいては憲法を軽視しているわけだ。それもそうだろう。自民党の憲法草案は、まさに彼女らが発言した内容になっているのだから。

たとえば、現行憲法の97条基本的人権は、自民党の草案では削除されている。

※削除した理由として、11条と内容が重なるからだとしているが97条には97条としての意味がある。97条は、基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」で「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」などとわざわざ『第10章 最高法規』に明記され、最高法規だと示している。そして、憲法の最高法規性を規定した98条や公務員の憲法尊重擁護義務を規定する99条にも影響する条文なのだ。自民党は、この97条がある限り、他の条文に手がつけられないため削除したものだと考えられる。


また、草案には「憲法尊重擁護義務」が新たに加えられている。そこには、「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書かれている。自民党は、憲法を国民が国家(権力)を縛るものから、国家が国民を縛るものに変えようとしているのだ。

まさに、国民主権から国家(政府)主権にしようと目論でいるのである。そして、自民党議員から出てくる失言や態度は、この憲法草案を見れば、得心がいくだろう。目指したい国家を起点に発言を繰り返しているのだ。

民主主義を構成する「憲法」「国民主権」を前提にしている者たちと、本音では、それを無視したい、蔑ろにする者たちとでは、議論が成立するわけがない。

公に「民主主義、国民主権を辞めたい」と宣言すれば、そもそも論から議論はできるだろうが、それを隠しつつ、民主主義を愚弄し、そして、憲法まで変えようとしているのだ。これが今の日本の政治の姿なのだ。

 

 

 

 

 

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檻の中のライオン

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増補版 赤ペンチェック 自民党憲法改正草案

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憲法改正に仕掛けられた4つのワナ

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