ホリエモンの言う「大学に行く意味はない」が正しいワケ

ホリエモンが「大学に行く意味はない」といった発言が軽く炎上している。ホリエモンの「大学不要論」は、これが初めてではない。過去にも何度が似たような主張はしてきている。



ホリエモンの主張は、論理的に見て正しいと思う。

 

理由は2つある。

 

「大学に行く意味はない」が正しい2つの理由

 

1.大学の価値は下がっているから

今の時代、ネットを使えば、安価に大学レベルの学問が安価に学べる。講義を聞くだけの大学なら、ほとんどが代替可能だろう。

もちろん、大学に行かなければ得られないものがあるなら別だ。高価な実験機材があったり、大掛かりな研究ができたり、と。だが、これに該当する大学や学部がいくつあるだろうか。そう考えれば、総体的に大学の価値は下がっていると言える。

 

2.大学のコストが上がっているから

大学にかかる費用は年々上がっている。加えて、賃金の現象に物価の上昇を加味すれば、学費上昇は額面上よりも負担は大きい。奨学金を返済するために身売りする学生までいる始末だ。

つまり、数十年前と比べて価値が下がり、コストまで上がっている現状を考えれば、大学に進学する意味は薄らいできていると言えるだろう。よって、ホリエモンの主張は論理的に見て正しい。

ホリエモンの「大学不要論」に対して、散見される批判意見が「高卒よりも大卒の方が生涯賃金は高い」だ。この批判をしているのが大卒なら、本当に大学では何を学んできたのかを思う。

「大学に行く意味はない」は、「4年間の時間とそれにかかるお金を投じて見合うものは得られない」と読まなくてはいけない。つまり、対比すべきは、ただの「大卒vs高卒」ではない。「大卒vs4年間とお金を他のことに投じた高卒」である。

想像して欲しい。
高校を卒業してからの4年間を好きなことや得意なことに集中する若者が大勢いたら、バラエティ豊かな人材が増えると思わないだろうか。個人的には、こちらのほうが将来的に日本経済に寄与する気がする。

先日、NHK番組『マイケル・サンデルの白熱教室』の「中国 衝撃の教育改革 あなたはどう考える?」を視聴した。

 

中国政府は行き過ぎた受験戦争を抑止すべく、宿題や塾に制限をかける政策を始めたことを紹介していた。子どもが遊ぶ時間に費やしたほうが、将来、中国に寄与すると考えてのことだろう。「いや~、こりゃ、どの角度からも日本人は負けるわ」と感嘆した。

金太郎飴ばかり製造するこれまでの教育では、世界に通用する人材は育成できないと私が思う。実際、現状の教育カリキュラムと学歴社会がもたらした結果が、「今」の日本経済と腐った官僚の姿なのだから、失敗していることはすでに証明されている。

だが、ホリエモンの主張に全面同意しているわけではない。
私はホリエモンの主張を「論理的に」正しいと言ったのだが、「心理論理(サイコロジカル)」的には、正しくないとは思っている。

 

 

学生が大学に行く、心理論理(サイコロジカル)な2つの理由

建前上、大学の目的は「学業」だが、本音は「学歴」にある。学歴には、様々な意味合いがあるが、主な2つのシグナルを発するためにある。

 

 

1.「私には忠誠心があります」シグナル。

「学校の勉強だけではなく、塾にも通い、退屈でつまらない勉強を日々続けてきました」を学歴は証明してくれる。

採用時にこのシグナルは役立つ。
「つまらない勉強を続けてきた私なら、御社のつまらない仕事にも忠誠心を持って続けられます」というシグナルとなる。

一方、私のような低学歴者は、いつ「飽きた」「つまらない」といって会社に来なくなるかわからない。低学歴はそれをシグナルとして発する。だから、企業は高学歴を欲しがるのだ。そのニーズに合わせる形で学生は学歴を求める。

余談だが、ひろゆきはよく「高校で漢文・古文を勉強する必要ってあるんですか?」といった発言をしている。私は、意味がないからこそ意味があると思っている。「こんな意味のないことでも勉強してきたんです」といったシグナルになるからだ。

論理的に考えたら、ひろゆきの言う事は真っ当である。だが、心理論理から考えたら間違っているのだ。

 

 

2.「生まれ持った才能はここまであります」シグナル

人の潜在能力を観るために学歴が機能する。
潜在能力は、同じカリキュラムをやらせて、同じテストをさせるからこそ、才能や集中力、根気といったものが測れる。

◯◯大卒の学歴は、少なからず、その大学を卒業するだけの潜在能力があることを示してくれる。企業はこれを見て、潜在能力の高い人材を選抜する手がかりにしている。

企業は、忠誠心のある能力の高い人が欲しい。
これを簡単に汲み取れるのが「学歴」なのである。そういった買い手の都合があるため、売り手はそれに適合する形で学歴を欲する。

だから、「大学には意味はない」のメッセージは、学生ではなく、企業に向けられるべきメッセージなのかもしれない。企業が学歴偏重社会を見直さない限り、学生の大多数は学歴重視を見直さないだろう。

今の日本を喩えるのなら、「下りのエスカレーター」である。その上で学生は一生懸命走りながら「学歴競争」をしているのだ。低賃金化している日本の経済環境の中で、大卒のほうが有利とか言っているレベルでは、沈没するのは時間の問題である。