息子・娘には「結婚はまだか?」「子供はいつだ?」と聞こう

この時期、親や義父母からの「結婚はまだ?」「お子さんは?」に悩まされている人は多いと思う。こうした言葉は余計なおせっかいに聞こえるかもしれないが、愛情からだと思って聞き流して欲しい。むしろ、個人の自由を尊重する人よりも、よっぽどあなたのことを想っている。

最近は「結婚しない生き方」「子供を持たない生き方」も受け入れられつつあるが、こうした風潮に私は反対である。「個人の自由」の名のもとにおける共同体放棄、または思考停止だと思っているからだ。

今まさに自殺しようとする友人がいて、「まぁ、個人の自由だし」と言って止めないのなら、あなたは首尾一貫している。しかし「個人の自由」を重んじる人でも、さすがに友人の自殺は止めると思う。

「結婚しない」「子供を産まない」は、「遺伝子を断つ」という意味においては自殺である。「結婚しないのもいいよね~」と勧めるのは、自殺幇助と同じだ。だから私は未婚・未出産を勧めない。むしろ積極的に、結婚と出産を勧める。
それは「生きろ」というメッセージでもある。

「結婚できなかった」「出産できなかった」なら仕方がない。だがはなからそれを放棄するのは、やっぱり駄目なのだ。

「個人の自由」の先にあるのは、親切とおせっかいのない世界、思いやりのない世界だ。他人に干渉しない、他人の選択に口を挟まないのが「個人の自由」の尊重と言われる。だがそれは、本当に「尊重」なのだろうか。

先にも言ったように「個人の自由」は、実のところ共同体放棄、または思考停止の現れなのだと思う。「他人のことを想うのも関わるのも面倒くさい」という他人への興味の薄さ、無関心さが「個人の自由」の根本にある。決して、尊重なんかではない。

よその家の娘がヤクザを結婚相手に連れてきたとしても、「娘さん意見も尊重してあげないと。誰と結婚するもの個人の自由だし」と言えるかもしれないが、自分の娘だったらどうか。同じことを言えるだろうか。

結局のところ、どうでも良い奴のことほど「個人の自由」を使い、関わらなようにしているだけである。ただの無関心を、「個人の自由の尊重」という聞こえの良い言葉で包み、隠そうとしているだけなのなだ。