右側と左側

※私が思う(主観)ところです。

 

右側は、自国の良いところしか見ようとしない。自国を褒めることが自国を愛することだと信じているから。
左側は、自国の悪いところしか見ようとしない。自国を省みればより良い自国になれると信じているから。

右側は、他国の言動に注意を払っている。他人の振る舞いに応じて対応を変えるべきだと考えているからだ。視点は外に向いている。
左側は、他国の言動にあまり関心がない。自国を省みることに他国の言動は関係ないと考えているからだ。視点は内に向いている。

右側は、自国にとって都合の悪い歴史はなかったこと、または、修正しようとする。自国の人格、自分の歴史は誇らしいものだと信じており、汚点の歴史が信じられないからだ。都合の悪い歴史を信じず、歴史を隠蔽し、修正する者を賛美する。
左側は、自国にとって都合の悪い歴史であろうと受け入れようとする。過去の汚点よりも、その後、どう是正したかに重きを置いているからだ。隠蔽、修正は悪しき行為とし、都合の悪い歴史を認めて是正することが、善き行い、善き者としている。

右側は、理想よりも現実に重きを置いている。理想にばかり邁進していれば、他国から足をすくわれ、自国を守ることができないと考えているからだ。
左側は、現実よりも理想に重きを置いている。目の前の問題に自分を合わせていると、理想の自国から遠のき、悪しき自分に戻ると考えているからだ。

右側は、自国の荷物になる国民は切り捨てていいと考えている。国家あっての国民と考えているからだ。
左側は、自国の荷物になる国民でも切り捨ててはいけないと考えている。国民があっての国家だと考えているからだ。

右側と左側は仲が悪い。
右側は左側のことを、自国批判してばかりする「反日」にしか見えない。どうしてこんな奴と同じ国民なのかと思っている。もしかしたら、他の国民ではないのかとさえ考えてしまう。
左側は右側のことを、自画自賛ばかりしていて、自国の品性を貶める奴にしか見えない。どうしてそれが傲慢で独善的な自国を作り上げていることに気づかないのかと思っている。

右側と左側は、同じ現実に身を置いていても、同じ事実を見ていない。フォーカスしているものが全く異なっているため、同じ言語を使っているにもかからず、言葉が通じていない。


どちらにも言えることは、マスコミが嫌いであること。そして、「和」の精神を忘れ、「同」の精神を有していることだ。

「同」とは、どちらかが一方が片方に合わせる精神。全体主義やディベートなどがそれにあたる。和とは、異なる音を鳴らして調和させるように、様々な意見を持つ人が集まり調和を見出そうとする精神。孔子は「君子は和して同せず」という言葉を残した。聖徳太子は、憲法17条第一に「和をもって尊しとなる」と書き残した。

右側と左側が、和の精神をもって和解できる日は……、多分こない。