AIは暴走する、しない?

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AIの未来予想は、大きく分けて2つある。

一つは、「いつの日かAIは意志を持ち、人類にとって予想だにしない行動をするようになる。だからこれ以上の研究をしないほうがいい」という論。最近亡くなった物理学者スティーヴン・ホーキング博士もこの論者の一人だ。

もう一つは、「AIが意志を持ち暴走するようなことはない。そういう構造(メカニズム)ではない。むしろ、AIの発展は人類にとっても利益になる」という論。

専門家の間でも意見が分かれるのは、きっとAIが今、過渡期にあるからなのだろう。当然、専門家ではない私にはどちらが正しい論かは分からない。

ただ、二つに分かれる意見を見て思ったことがある。それは、「原発と類似している」ということだ。

原発も、以前から「絶対に安全」と「いつか事故を起こす」の論があった。こちらは結果的に事故を起こし、安全神話が崩れたわけだが、だからといってAIも同じ道を辿るとは言えない。ただ、安全と危険で意見が分かれている点、もし事故(暴走)したときの被害が甚大であるという点が類似している。

それに、たとえAIが危険性を孕んでいたとしても、人類は安全論を信じて研究の手を止めることはないだろう。経済的な利益、止められない好奇心が働いているからだ。人間とはそういう生き物だと私は思っている。

仮に真実が「AIは危険」だったとしても、人類はその被害を体験しない限り、止めることはしないのだ。いや、利便性を一度経験してしまったら、たとえ被害が出たとしても使い続けるのかもしれない。原発と同じように。

さてさて、AIはどんな未来を描くのだろうか。人類に待っているのは明るい未来か、それとも……

 

 

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子供の「勉強して何の役に立つの?」にまともに答えてはいけない

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「勉強して何の役に立つの?」
そう子供に問われたことはないだろうか? あなた自身も子供の頃、そう問うたことがあったのではないだろうか。

この問いに対して、大人はまともに答えてはいけない。
なぜなら、子供が本当に言いたいのは、「勉強が面白くない」だからだ。「面白くない」を「何の役に立つの?」と言い換えているだけに過ぎない。大人が本当に教えるべきことは、「勉強がいかに楽しいか」である。

話は少しそれるが、あなたが子どもの頃、部活動をしていたと思う。私も部活動をしていた。そこでお聞きする。

その部活動、何の役に立ったのか?

あなたの子供にも問うてみてもいい。
「あなた部活で○○しているけど、何の役に立つの?」と。

野球選手になる気がないなら、何のために野球部に入るのだろうか?
演奏家になる気がないのなら、何のために吹奏楽部に入るのだろうか?

ハッキリ言って時間の無駄だ。何の役にも立たない。
だが、あなた自身、そしてあなたの子供もこんなこと考えたことはないはずだ。なぜなら、楽しくて、好きで始めた部活動だから。

楽しいこと、好きなことに対して、「何の役に立つのか?」などという問いは起きない。この問いが起きるのは、決まって楽しくないことをさせられている時だ。

「何の役に立つの?」を大人は馬鹿正直に説こうとする。書籍まで出ている始末だ。無駄だ。現に世代を超えて、子供たちは必ず「何の役に立つの?」の壁にぶち当たっている。それに対して、簡潔な回答はまだ示されていない。というか、ないのだ。

子供もバカではない。ぶっちゃけ、学校で習ったことの大半は、大して役に立たないことぐらいすでに気づいている。勉強は実生活に役立つものではなく、「学歴」を得るためのものだとすでに気づいている。だから、「いかに役に立つか論法」は、色んな意味を含めて無駄なのである。

仮に、「勉強は役に立つ」を教えられたとしても、「勉強は楽しい」を教えられないのであれば、それこそ「敗北」なのではないだろうか。

大人が教えるべきことは、子どもが好きな遊びやスポーツのように、「勉強も楽しむことができる」ということなのである。

 

 

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昔と今の「子育て」から考える、苦労の基準

作家の百田尚樹さんが以下のツイートしていた。

 

この認識は正しい。 そして若干間違ってもいる。今回はこのツイートを端緒に、人の持つ「基準」について私見を述べたい。

話は少し逸れるが、
私は戦国時代や幕末時代のドラマを見るたび、この時代を生き抜いた人たちの胆力に毎回驚かされる。電子機器もなければ、車や電車といった移動手段もない。しかし日本中を駆け巡り、時代を変えていったのだ。「あの時代の人たちはすごいな」といった 所感を抱いたのは、私だけではないはず。もっと近い時代を言えば、戦時中の方々を見ても同じように思う。彼らの生き様や残していった手記を見るたび、本当に立派だな思い、感服する。

では、彼らと今の私たちとでは DNA が違うのだろうか。いいや、そんなことない。違うのは環境だ。

私は環境が人を作ると思っている。もう少し具体的に言うと、 環境が「基準」を作ると思っている。電子機器や電車がない生活が当たり前であれば、それが「基準」になる。昔の人間と今の人間ではこの「基準」が違うのだ。

もう少し身近な例を挙げてみましょう。
あなたは、「勉強をした」と思う勉強時間はどれぐらいだろうか?

私は底辺校から一流大学出身の友達まで幅広い交友を持っているため、この「勉強をした」という感覚が出身校によって違うことを知っている。底辺校の子は、家で30分でも勉強したら「俺、今日すげー勉強した」と言う。一流大学の子は、家での勉強時間は4時間以上が当たり前だ。休日には12時間以上勉強する。

これは、育ってきた環境や関わっている人たちの影響である(もちろん本人の努力もあるが)。30分なら30分、12時間なら12時間の勉強が当たり前になるような環境に身を置いていたから、それが当たり前になったのだ。同じように、電化製品が普及すれば、電化製品がある生活が当たり前になる。保育所が普及すれば、子供を預けることが当たり前になる。そして、それがその時代を生きる人の「基準」となるのだ。

80歳以上の方々は、子供4人以上を産むのが当たり前だった。子供を背負って抱っこして、井戸から水を汲み、薪からお風呂を焚いた。もちろん、近所の人が子育てを助けてくれたといった地域による一助はあっただろうが、それらを差し引いても、昔の人たちの子育て環境は今ほどではない。テレビで映される「子育てに苦労するお母さん」を見て、老婆たちは鼻で笑っている。実際笑っているのを私は見た。

だからといって、現代のお母さんたちが抱える苦労が嘘かというと、そんなことはない。本当に苦悩を感じているのだ。ただ生きてきた時代による「基準」が違うため、苦労に対する上限が異なるのだ。

これからも益々便利になり、それが当たり前になり、人々は易きに流れていくことだろう。そのうち、「子供を産むことすら面倒くさい」という時代がくる。というか、もうきている。

基本、時代による基準は下がることはあっても上がることはない。易きに流れる一方である。私たちはもう、パソコンやスマホのない生活なんて考えられない。ネットや電話回線のない生活なんて想像もできない。このように、一昔前まではなかったものが現れ、それが“ある”のが当たり前になれば、戻れることなんてできないのだ。次第に、今までは苦労と感じなかったものを苦労と感じるようになり、さらなる便利さを求めて、尽きぬことのない易きへと流れていく。

この記事を読んでいるあなたもきっと、30年後50年後に若い世代を見て、「そんなもの苦労のうちに入らないよ」などと言い、いかんなく老害ぶりを発揮することになるだろう。

 

 

困難な成熟

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勝間式 超ロジカル家事

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炭水化物制限を否定する“ポジショントーク”にご注意

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一つの事実により、得をする人もいれば損をする人もいる。損をする人は、どうにかその事実を否定しようと躍起になるものだ。

「糖質制限」を例に挙げよう。
糖質制限は今、体脂肪を落とす有効な手段として注目を浴びている。死亡の原因は糖質だったという事実は、今までのカロリー神話に大きな衝撃を与えた。

この糖質制限が広まることで損をする人たちは誰か。カロリー制限を謳うダイエット業界もだが、農産業もダメージを負う。なぜなら、糖質の多い食べ物の代表に「炭水化物」があるからだ。

炭水化物は、お米やパンと言った主食。主食を制限されたら、農産業は大きな痛手を被る。当然、糖質制限を否定する事実が欲しくなるというものだ。

そしたらやっぱり出てきた。
2018年03月15日、日本農業新聞が掲載した「ご飯、うどん・・・ 炭水化物減らすダイエット 60代後半で老化顕著に 糖質制限ご用心」という記事だ。


農産業は、焦っているのだろうか?
このような発表は、長年、人間による追跡調査をして結論を出すものだ。マウスの段階ではまだまだ何とも言えない。時期尚早な気がする。

一方、2018年04月13日の東洋経済の記事『最先端の医学では「白米は体に悪い」が常識だ』では、日本人の身体50,000人以上を追跡して、「白米は糖尿病のリスクが高まる」と結論付けた。ほかにも、心筋梗塞・脳卒中といった動脈硬化によって起こるリスクも高まるとある。


ほかには、2018年4月7日の毎日新聞『「炭水化物が命を縮める」 衝撃論文の中身とは』では、2003年1月1日時点で登録した35~70歳の13万5335人を、13年3月31日まで7.4年間(中央値)追跡調査した結果
①炭水化物摂取量の多さは、全死亡リスクの上昇と関連している。
②総脂質も各種脂質も摂取量の多さが全死亡リスクの低下と関連している。
③総脂質、各種脂質の摂取量は、心血管疾患、心筋梗塞(こうそく)、心血管疾患死と関連していない。
④(乳製品や動物性食品に多く含まれる)飽和脂肪酸の摂取量は脳卒中の発症リスクと逆相関している。と書かれている。


さて、マウスでしか実験していない発表、一方では10年以上に亘り万単位の人間を追跡調査した発表、あなたはどちらを信じるだろうか?

こういった例は、どの世界でも起きている。
情報は常に「誰が発信しているのか」を見る必要がある。利害関係のある人間が書いた記事は、真に受けないほうがいい。他の情報も調べてみて判断することをお勧めする。

 

 

 

 

50歳から始める 炭水化物ぬきレシピ

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炭水化物が人類を滅ぼす?糖質制限からみた生命の科学? (光文社新書)

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無自覚な差別

 

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仕事帰りの新幹線、いつものように時間を持て余す。座席に挟んである搭載誌に手を伸ばしてページをめくっていたら、一つの寄稿記事に目が留まった。筆者は、ホームレスの救済活動をしている男性だ。

記事には、ホームレスを救済するための募金活動をしていると、多方から「ホームレスなんて自業自得だ」「自己責任だろ」といった批判を投げかけられるとあった。彼も以前は同じように考えていたらしい。だが、現状を知るに連れ、「自己責任」の一言で片づけられない背景(知的障害や幼少期の虐待、貧困)を知り、救済活動をするに至ったようだ。

彼は言う。「背景を知らない人が大勢いる」と。確かにそうだ。

だが私は、記事を読み、根本的な部分は“そこじゃない”と思った。関心がないのも募金が集まらないのも、要はホームレスが可愛くないからだ。

以前、友人からこんな話を聞いた。
学生時代、とある女性がクラスの前で夢を発表した。「貧困に苦しむアフリカの子供を助ける活動をしたい」と。友人はそれを聞き、「そんな遠くにいる子供より、もっと身近なホームレスに手を差し伸べればいいじゃないか」と言った。すると彼女は「それは嫌だ」と答えたそうだ。

人は、無自覚ながら「容姿差別」をしている。
事実、私的支援は圧倒的に「子供対象」にお金が集まる。小さい子供の写真を見せられると憐みを感じるが、一方でおっさんの写真には小指の先ほどの同情心も芽生えない。人間とは、そんなものである。

今日、歯医者の受付でニュースを見ていたら、「子供食堂が2年間で7倍も増えた」という報道を見た。「大人食堂」では無理だろう。

 

 

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森友問題を「佐川氏の責任」で終わらせたい人々

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「財務省の佐川氏が勝手に文章を改ざんした。安倍総理と麻生大臣に責任はない」という言説がネトウヨ界隈で信じられている。正直、本気でそれを信じているのかと疑ってしまう。せめて、ポジショントークであってほしいし、本気で信じているなら重症である。

「財務省の官僚が勝手にやったこと」。そもそも、この言い訳をするために忖度が使われるのである。自分に責任が及ばぬよう、明確な指示を出さずに相手が察するように仕向け、いざとなったとき、「私は知りません。指示していません。関与していません。」の言い訳をする。卑劣で無責任なやり方だ。安倍総理や麻生大臣が「佐川氏が勝手にやったこと」と責任回避するのは、問題発覚後からの想定範囲であり、忖度を有効発揮している事象に過ぎない。

大事なのは、国民の姿勢だ。もし、「財務省の佐川氏が勝手に文章を改ざんした。私ども(安倍・麻生)は知らなかった」を許せば、今後も忖度が許される形になる。官僚がすべての責任を負わされて、政治家が一切の責任を負わない政治体制を作ることに繋がる。そんな前例は許してはいけないし、今回のようなあからさまな例は持ってのほかだ。

「官僚が政治家を引きずり下ろすためにわざと文書を改ざんしたらどうするんだよ」と言う人もいるが、その可能性は低い。安定志向の塊のような官僚が、下手したら失業・逮捕されるリスクを背負ってまで刺し違えようとはしないだろう。それに、決裁文書というのは幾人ものチェックが入るため、一人で改ざんなんてそうそうできない(そういったチェック機能が果たせていないのなら、組織体質・仕組みの問題であり、大臣の指揮管理能力のなさである。本件に絡めて言えば、麻生大臣が無能だということだ)。

今回の改ざんも佐川氏が一人でしたわけではない。関わった人が18名もいる。18名もの人間が関わっていながら誰一人告発もせず、犯罪だと分かっていながら文書を改ざんしたという事実が、「改ざんをせざるをえない何らかの理由・背景」が存在したことを示唆している。 

組織(上と下の関係)うえで起きる「忖度」には、することで得られる利得、またはしないことで受けるペナルティがあるからこそ行われる。これは推測だが、人事権を握られている官僚たちは忖度しなければ、出世コースが閉ざされるという意識があったのではないだろうか。それぐらいの強い脅迫的な空気が無ければ、犯罪に手を染めて佐川氏が改ざんする理由が分からないし、18名もの官僚が改ざんに関与したとは考えにくい。一体どんな空気が財務省を覆っているのだろうか。そういえば、忖度をした佐川氏は国会答弁後に晴れて栄転となっていたな。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

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忖度や意図がなければ起こりえないと思うことばかり

・調べによると、改ざんが始まったのは、2月下旬。総理が「私や妻が関与してれば議員を辞める」と発言したのは、2月17日。このタイミングは忖度の可能性を示唆している。

・今回の一件で、佐川氏の国会答弁(参考人招致)は嘘だったことが判明したわけだが、なぜ佐川氏は文書を書き変え、かつウソの答弁をする必要があったのだろうか

・政治家の関与がないのであれば、なぜ政治家の名前を文書からすべて消したのか

・78ページ中310か所も書き換える必要がどこにあったのか

・なぜ財務省の人間は、佐川氏の指示に黙って従ったのか

・なぜ与党は、籠池氏を証人喚問で呼びながら、佐川氏は参考人招致に留めたのか

・なぜ籠池氏は、半年以上も留置されなくてはいけないのか

・なぜ昭恵夫人の秘書は、海外赴任になったのか

・なぜ昭恵夫人及び秘書は証人喚問及び参考人招致されなかったのか

・なぜ佐川氏は参考人招致後、理財局長から国税庁長官に栄転となったのか

・なぜこのタイミングで佐川氏は辞職したのか

・なぜ文書書き換えが明るみになったにもかかわらず、与党は昭恵夫人の証人喚問に応じないのか

・朝日新聞が文書の書き変え疑惑を取り上げるまで、なぜ財務省は開示しなかったのか

・3月5日に国交省から官邸に改ざんの報告が上がり、3月6日には安倍総理も改ざん前の文書の存在を知っていならが、なぜ「11日に報告を受けた」と答弁したのか

・改ざん前の文書を保存してあったPCをなぜ財務省は処分していたのか

・自殺した近畿財務局の職員は、生前「自分の常識を壊された」と述べていたようだが、一体何があったのか

・自殺した近畿財務局の職員のメモには、「決裁文書の調書の部分が詳しすぎると言われ上司に書き直させられたとか、勝手にやったのではなく財務省からの指示があった、このままでは自分1人の責任にされてしまう、冷たい」とあった。一体何が行われていたのか。

・なぜ、地中ごみを試掘した業者は“虚偽のごみ報告書”を書かせられたのか

・なぜ、森友建設の土の搬出を請け負った建設会社(下請け)の土木従業員が自殺したのか

 

これだけの不自然な事象は、どう考えても尋常ではない。何らかの強い力が働らかなければ、このような一連の事象は起きるはずがない。バイアスがかかっていなければ、誰がどう見ても政治的な力が働いていると容易に想像できる。

これだけの隠蔽や状況証拠があるにも関わらず、安倍総理の「私も妻も関わっていない」の言葉を信じるのは、ホテルの同室に泊まっておいて、「身体をほぐしてもらっただけ」の言葉を信じるレベルだ。

ついでに言えば、文書の改ざんに近い事案は他にもあった。
「裁量労働制のほうが労働時間が長くなる」という“不都合なデータ”の隠蔽や、南スーダンの国連平和維持活動の「日報隠し」だ。叩けばまだまだホコリが出そうだ。

 

 

佐川氏が関わった案件はすべて調べる必要がある

安倍総理は、「国民の皆様から厳しい目が向けられていることを真摯(しんし)に受け止め、なぜこんなことが起きたのか、全容を解明するため調査を進めていく。麻生財務大臣にはその責任を果たしてもらいたい。その上で、全てが明らかになった段階で、二度とこうしたことが起きることのないように信頼の回復に向けて、組織を立て直していくために全力をあげて取り組んでもらいたいと考えています」と述べた。確かに、今回の一件で政府への信頼は大きく落ちた。

佐川氏が関わった他の案件でも、「文書の改ざん」が行われた可能性はぬぐえない。余罪を徹底的に調べる必要がある。もし、今回と同様に忖度の可能性を中心に調べるなら、安倍総理や昭恵夫人が少しでも関わった案件から徹底的に調べたほうがよい。それが国民への信頼回復に向けた取り組みだ。

 

 

【考察】なぜ、こんなにも不自然で不誠実な事柄ばかりなのにも関わらず、「政治家には責任がない」「一切の関与がなかった」と言い張る人たちがいるのか

人は、信じたいものを信じ、信じたくないものを信じない。先の「夫人の名前は籠池の発言に含まれてるだけ」もそうだし、「財務省の佐川氏が勝手に文書を改ざんした。安倍総理と麻生大臣に責任はない」と考えるのも、まさに“信じたいものを信じ、信じたくないものを信じない。”の表れである。
この心の動き(バイアス)は、事実を見ないばかりか、事実をも歪曲してしまう。すべて自分の都合のよいほうに解釈し、本質をも見誤ってしまうのだ。


書籍『失敗の科学』にこんな記述がある。

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

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1954年秋、当時ミネソタ大学の研究者だったフェスティンガーは、地元誌の奇妙な見出しに目をとめた。「シカゴに告ぐ、惑星クラリオンからの予言―大洪水から避難せよ」。記事の内容は、霊能者を名乗る主婦マリオン・キーチが、ある惑星の「神のような存在」から、次のメッセージを受け取ったというものだ。「1954年12月21日の夜明けの前、大洪水が発生して世界が週末を迎える」
(中略)
信者たちはみな、「世界が終わる直前、真夜中に空から宇宙船が現われ、キーチの小さな家の庭にやってきて、信じる者だけを救ってくれる」と信じ込んでいた。
(中略)
野心旺盛な科学者フェスティンガーは、またとないチャンスが訪れたと考えた。このカルト集団に信者のふりをして潜入すれば、世界の終末が訪れるまで彼らの行動を観察できる。特に興味があったのは、予想が外れたあとの信者がどんな行動をとるかだ。
(中略)
そして予言の当日。約束の真夜中になっても、宇宙船の姿は見えなかった。洪水も世界の終末も来る気配さえない。フェスティンガーと同僚は、居間で信者たちの様子を見守った(ただしキーチの夫は信者ではなく、とっくに寝室でぐっすりと眠っていた)。信者たちは、最初のうちはときどき庭を見て宇宙船が降りてこないか確認していたが、真夜中をすっかり過ぎると、一様にどんよりとした顔つきになった。しかしやがて、何事もなかったようにそれまで通りの行動を始めた。つまり、フェスティンガーが予想した通り、大事な予言をした教祖に幻滅することはなかったのである。そればかりか、以前よりも熱心な信者になる者も出た。
(中略)
実際、信者たちは予言がはずれたあとでこう主張した。「神のような存在は、私たちの信心深さにいたく感心して、この世界に第2のチャンスを与えてくれた!(筆者がわずかに言い換えている)」「私たちが世界を救ったのだ!」中には集団を抜けるどころか、さらにメンバーを集めようと布教活動に出る者もいた。
(中略)
このエピソードは、カルト集団に限らず、我々が誰でも持っている一面を示唆している。(中略)多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突き付けられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。次から次へと都合のいい言い訳をして、自分たちを正当化してしまうのだ。ときには事実を完全に無視してしまうことすらある。(p99-102)

 

ネトウヨ界隈の言説を見ていると、上記のカルト集団を見ている気分になる。

森友問題なんてない。証拠もない ⇒ 朝日のねつ造だ ⇒ 書き換え発覚 ⇒ 開き直り、財務省の陰謀、佐川の勝手な忖度(関与がない)など

 

 

どんな解釈だよw

 

 

終いには、デマまで信じ込んで拡散している。

【フェイク注意】民主党時代にも「文書書き換え」の前例!?→自民党時代の2007年に発生した事件でした | BUZZAP!(バザップ!)

 

 

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冒頭に私は、「ポジショントークであってほしいし、本気で信じているなら重症である。」と書いたのは、ポジショントークなら、まだ自分をメタ認知できているからだ。「自分も森友問題は黒だと思うけど、でもまぁ安倍総理には辞めてほしくないから、都合の悪い事実は無視して、都合の良い事実と解釈を発信しよう」という姿勢なら、まだ救いようがある(正直、その姿勢もどうかと思うが)。だが、「財務省が全部悪くて、安倍総理も麻生大臣も悪くない」と本気で考えているのなら、相当重症である。上記のカルトと大差ない。大なり小なり、人は「信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない」という心の動きをするが、今回の一件は、不自然な事柄が山のようにある。これに目を背くようでは、相当ヤバい。かなりイっている。


ほかにも、都合の悪い事実を見ようとしない事象は、今回の一件でもいくつか思い当たる。

たとえば

・「いつまでモリカケやっているんだ」と批判していた人たちは、この問題を追求し続けた野党と新聞社に対して、ねぎらいの言葉が一つもない。途中で辞めていたら、財務省の汚職は闇の中へと消えていた。

・文書の書き換えが明るみになったことで、今まで本件で国会の時間を無駄に費やしていた責任は与党側に移ったが(麻生大臣の管理不足)、その責任を追及する言説が野党批判者から聞こえてこない。

・近畿財務局職員の自殺の原因が職務にあるのであれば、誰かがその責任を負うべき案件であるにもかかわらず、その責任を追及する言説もまた野党批判者からは聞こえてこない。

※誤解なきよう、私は別に野党のどこかの政党を推しているわけではない。

 
100歩譲って、安倍総理が本当に関知しておらず、佐川氏が勝手に文書を改ざんしたとしよう。それでも、麻生大臣の責任が一切問われないのはおかしい。自分の管轄内で起きた犯罪である。民間企業なら辞職ものである。しかも、犯罪を犯した佐川氏を栄転させているのだから、もはや財務大臣という以前に、人を束ねる人間として能力が低い。なぜ、そんな人間に安倍総理は後処理を任せるのか。お友達内閣もいい加減にしてほしい。

今回一番気持ち悪いと思ったのは、亡くなった近畿財務局職員に対して麻生大臣が心を痛めていない点である。しかも、財務省の長であるにもかかわらず、「最終責任は佐川にある」と言い、佐川氏だけに責任を押しつけようとしている。最終責任を部下に背負わせ、責任を一切取らない長なら、いる意味がない。それこそ辞任してほしい。骨の髄から腐っている。

公文書の改ざんは、先進国ではあってはならぬ行為だ。これで、まともな責任を取る者がいないとなれば、世界のいい笑いものである。これ以上、日本に恥をかかせないでほしい。

 

終わり

 

 

小ネタ

これだけは言えます。
麻生大臣が言った「佐川国税庁長官は適材適所だった」は間違っていない、と。なぜなら、麻生大臣の代わりに罪を被ってくれるのですから、麻生大臣からしたら、これ以上ない人事だったと思います。「適材適所」の言葉の前に「自分にとっては」を言い忘れていただけなのです。

 

私はよく言うんです。
昭恵夫人こそが真の野党、与党クラッシャーだと。野党はもっと彼女に感謝すべきです。

 

仮に、佐川氏が安倍総理の発言を聞き、勝手に忖度をして犯罪に手を染めてまで文書を書き換えたのであれば、ある意味、超絶機転が利く優秀な人材です。彼の爪の垢を煎じて、どうか超絶機転が利かない昭恵夫人に飲ませてあげてください。

 

私はよく言うんです。
掘れば掘るほどゴミが出たのは、森友学園の土地ではなく、財務省と安倍政権だと。

 

文科省が前川氏の講演内容がわかる録音データなどを提出するよう主宰中学校に求めたそうですが、国による学校教育への関与は法で制限されています。しかしネトウヨのみなさん、ご安心ください。文科省が安倍総理のご意向を勝手に忖度しただけです。安倍総理は悪くありません。

 

 

 

 

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「無知」の技法NotKnowing

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お勧めブログ

 


のぶみ氏の「あたし おかあさんだから」は、メロディーと合わせればそんなに毒じゃない

のぶみ氏が書いた詩が絶賛炎上中だ。

 
私はのぶみ氏の絵本は好きなほうじゃないし、詩を見た時は「怨嗟の詩だな」と思い、そうツイートしてしまった。しかし、詩はメロディーと一緒に聴かなければ真の意味で評価はできないと思い、ネットで調べてみることに。そしたら歌が見つかった。聴いてみるとメロディーは優しく、詩のおどろおどろしさはだいぶ緩和されていた。「これだったら別に炎上するレベルじゃないよな」と思った。

今回の炎上を見ていて「SNS上では、断片的な情報が独り歩きするんだな」と再確認した。先も言ったように、「歌=詩+メロディー」なわけであり、詩だけを見て批判するのはちと勇み足なわけだ(自戒を込めて)。せめて歌を聴いてあげてほしい。詩だけを見て批判されたのであれば、歌に関わった人たちが可哀想である。

これは珍しいことではない。ツイートの一部だけを取り上げられ、そこに批判が集まるのはいつものことだ。一連の流れを追いかけてみれば、「これは炎上するほどのものではないな」ということに気づくが、そこまでする人は一握りの人間だ。

基本炎上はTwitterから始まる。恣意的に情報の一部だけが切り取られ、独り歩きしてしまう。気づいた時にはもう遅い。勝手に延焼してゆきあたりを焼きつくすまで燃え広がる。

お門違いな批判をしないためにも、情報はちゃんと調べていきたい。