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少年犯罪が起きるたびに「私刑」を望む馬鹿がなぜ湧いて出てくるのかを説明してあげる

川崎市の中学生殺害事件が耳目を集めている。
ネット上では、主犯格18歳の男性に「極刑」を望む声も上がり、署名運動をする人まで現われた。それはまだいい。解せないのは、個人(主犯)を特定する情報を公開する輩が出てきた点と、こうした「私刑」を支持する大人が、少なからずいる点である。

このような大人は、法治国家において「私刑」を支持するってことは、何を意味しているか理解しているのだろうか? 私刑を支持している時点で、その人は法や刑について議論するレベルに達していない。人類は、こうした感情論を法という理性で抑えることを覚えてきたのだ。逆戻りしてどうする。

こうした事象を見るたび、NHK番組「NHKオンデマンド | NHKスペシャル ヒューマン なぜ人間になれたのか 第2集 グレートジャーニーの果てに」を思い出す。


この番組で紹介された、ある実験がとても示唆に富んでいる。
実験はまず、女性が男性を平手打ちする映像を見せ、脳の反応を見る。当然、映像を観た被験者は不快感を覚える。しかし、ある一言をささやくと、反応が180度変わるのだ。そのある一言とは、「男性は女性に酷い事をしたの。あれは罰よ」。すると、同じ映像を見ても、不快感を覚えるのではなく、快感を覚えるようになる。悪い者が罰を受けるのは、人間は快感を覚えるようになっているという。これは精神レベルがどうこうではなく、脳の構造上そうなっている。

なぜ、脳はそのようになっているのか。
人間が進化する上で、厳密に言えば、集団生活をする上で必要だった。今も昔も集団で生活し、行動を共にするのは、秩序(ルール)が必要だ。しかし、中にはその秩序を乱すものが一定数現れる。その者には、罰を与えなければならない。そうでなければ、秩序は保たれず、集団生活を維持することはできないからだ。
とはいえ、今まで一緒に過ごしてきた人間に罰を与えることに不快感を覚えていては、罰を与えることに躊躇してしまう。それでは都合が悪いため、進化の過程上、秩序を乱した者への罰を与えることへ快感を覚えるようになったのだ。


以上が、番組にあった内容である。
犯罪者を非難し、私刑を見て胸がすくのは、この心理状態に近いと言える。

しかし人類は、公平な裁き、適切な裁きの基準やルールを長年にわたって積み上げてきた。それが法である。法は、人類、そして国の叡智である。

そんな法を度外視して、やれ「私刑だ」と騒ぎ、支持する大人の姿は、見ていて痛々しい。もし法が気に食わなければ、国民としては政治に働きかけ、法を改正してもらうしかない。冒頭にも書いたが、「私刑」を認めることは、今まで培ってきた叡智を踏みにじる行為であり、法治国家としてあってはならないのだ。

今回のような川崎市の事件を見て、不快に思い、罰を与えたがる気持ちは理解できる。だが、私たち現代人は、それを望んではいけないのだ。抑えなくてはいけないのだ。それをしてしまえば、今まで人類が精神を成長させてきたこと、法を築いてきたことを無に帰してしまうからだ。

望むべきは、早急な法による裁きなのである。

 

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