「米軍の犯罪率は低い」の主張は間違っている

沖縄でまた痛ましい事件が起きた。

そんな中、二つの主張を散見する。


一つ目は、「米軍の犯罪率は低い」という主張。

 

これらのツイート以外にも、同様のツイートを散見する。
犯罪率の数字を出して何が言いたいかというと、「米軍の犯罪率は低い。米軍を叩くなら、中国・韓国人の犯罪者も同じように叩け、報道しろ」「米軍に『出てけ』と言うなら、中国・韓国人にも言え」というもの。
 
あまりにも頭が悪い主張なので、とりあえず論破しておく。
まず、「米軍と○○人」を比較するのは、比較になっていない。比較するなら国籍条件で比較すべき。条件が違う時点で、この比較は公平ではない。

それに上記の数値は、基地外で犯した犯罪件数であり、基地内の犯罪件数は含まれていない。米軍関係者が基地内で犯したものは含んでいない。米国防総省は、14会計年度の米軍内の性的暴行は1万9千件と推計している。詳しくは以下のリンクを。

 

というか、そもそも比較する意味がない。
国防や平和を担う軍隊が犯罪を犯していいわけがないからだ。一般外国人が犯罪を犯すのと、米軍(軍人)が犯すのでは意味合いが全く違う。「米軍の犯罪率は、一般市民や外国人よりも低い」という主張は、「警察官の犯罪率は、一般市民や外国人よりも低い」と言っているようなもの。低くて当たり前だ。というか、本来ゼロでなくてはいけない。

二つ目は、「米軍は沖縄から出ていけ!」と訴えている人に対して、「『米軍は沖縄から出ていけ!』は、極論だ!」という主張。まず、「『米軍は出ていけ!』は、極論だ!」と主張する人に問いたい。なぜ、「出ていけ」という想いに至ったのか、その感情を汲み取る努力、想像力を働かせたのか?と。

第二次大戦の沖縄戦では、米兵によって20人万人の沖縄県民が殺された。
戦後、沖縄では米兵による強姦が続いた。沖縄での公娼施設の廃止したことも要因だが、1946年以降、日本人女性に対する強姦件数は一日平均330件に達した。

こうした背景があれば、米軍による強姦や殺人に過敏に反応するのは至極当然だ。他の外国人とは、前提がそもそも違うのだ。時代背景を顧みず、近年の犯罪率だけを出し、「他の外国人と比べて米軍の犯罪率は低い。過剰反応し過ぎている。偏向報道だ」と言うのはいかがなものだろうか。

そもそも沖縄に基地があること自体、民主主義から反している。普天間基地の件もそうだ。県民の多数が反対しているにもかかわらず政策を進めるのは、民主主義ではない。これについて、佐藤優氏は書籍『沖縄と差別』でもこう記している。

沖縄県以外の都道府県が米海兵隊の基地を受け入れないのはなぜだろうか。それは地元が反対しているからである。大多数の住民が本気で反対している政策を押し付けないのが民主主義の大原則だ。普天間飛行場の沖縄県内への移設に対して圧倒的多数の沖縄県民が反対している。辺野古がある名護市の市長、市議会の多数も反対している。このような状況で日本は全国で沖縄県だけに米海兵隊を受け入れろというのは、沖縄には民主主義原則が適応されていないというに他ならない。これは客観的に見て差別以外のなにものでもない。沖縄差別を容認することになる米海兵隊普天間飛行場の沖縄県内への移設を容認すれば、沖縄人の名誉と尊厳が否定される。(p92)

沖縄と差別

沖縄と差別

 

 

沖縄の意思に反して、「犯罪があろうと米軍は置くべきだ」の意見は、沖縄差別をしているのと同義だ。その覚悟と認識があって発しているのか。国防上、沖縄に基地があるほうがいいという理屈はわかる。確かにそうだろう。それは私も理解している。だが、だからといって沖縄の気持ちを無視していい、糾弾していい、封殺していいとは思わない。もし、沖縄に米軍を置くのであれば、日本人は米軍に対して沖縄に受け入れられるよう尽力しろと働きかけるべきであって、他国民の犯罪率を出して沖縄県民を批判・説得するなんて失礼にもほどがある。こんな差別をされるいわれはない。

前述したとおり、強制的に基地が作られているのであって、県民の民意は反映されていない。また、沖縄は米軍の犯罪被害にたびたび遭ってきた。その都度、減らしてほしい、もうあってはいけないと訴えてきた。そんな中、新たに犯罪が起きれば反感が高まるのは至極当然だ。「極論だ」と反論するではなく、「なぜそんな極論を言うに至ったんだろうか」「なぜ、そんなにも反対をしているのか」と、その背景にまで想像力を働かせてほしい。あまりにも思慮が足りない。

私は、「人の行動には理由がある」と考えている。自分から見て、相手の行動が過剰反応に見えるなら、「なぜそうなるのだろう」と一考する。心情をくみ取ろうと努力する。米軍を擁護している人であっても、沖縄県民の心情をもう少しだけでも推し量ってもらいたい。

 


(1995年、8万5千人が参加した沖縄県民総決起大会)

 


こんな事件が二度と起きないよう、日本政府はアメリカと連携をしっかりと取って対策してほしいものだ。

 

 

参考書籍

 佐藤優氏の書籍『知性とは何か』より。

知性とは何か (祥伝社新書)

知性とは何か (祥伝社新書)

 

 

戦後、沖縄は米軍の占領下に置かれ、その状況がサンフランシスコ条約で固定された。沖縄は、米国の事実上の植民地にされていた。それだから、「銃剣とブルドーザー」によって、民意の同意を得ずに米軍基地が作られていったのである。

 

日本の陸地面積の〇・六%を占めるに過ぎない沖縄に、在日米軍基地が七四%もあるという構造化された政治的差別が続いている。しかも中央政府は、沖縄の有権者によって選ばれた国会議員、知事に圧力をかけて辺野古に巨大軍事基地の建設を強行しようとしている。これは中央政府の沖縄に対する差別政策の拡大に他ならない。

 

差別が構造化している場合、差別する側は自らを差別者と認識していないのが常態だ。東京の政治エリートからすれば、沖縄の主張が反知性主義的に見える。しかし、日本の陸地面積の〇・六%を占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍基地の七四%が所在するということは、客観性を持つ可視化された現実だ。

 

歴史を中途半端に学ぶと、自分が所属する民族に都合がいい物語を信じ、代弁することに生き甲斐を見出すようになり、反知性主義の罠に落ちてしまう。そうなるとナショナリズムを原因とした戦争を引き起こす可能性が高まる。  近現代の歴史は反知性主義と相性がいい。民族の数だけ歴史があるということを皮膚感覚で理解しなければならない。自らが所属する民族の歴史を相対化することによって、他者の内在的論理を理解できるようになる。  平たい言葉で言い換えると「他人の気持ちになって考えることができる」ようになることが、反知性主義克服の第一歩なのである。

 

最後の引用文は、まさに私が言いたかったことだ。自分たちの都合のいいように事実や歴史を見ている人たち(主にネトウヨに多い)は、沖縄の気持ちになって考える思慮が足りてない。まさに”反知性主義”状態だ。この気持ち悪さに違和感を覚え、今回のブログを書いた次第である。

※反知性主義とは、実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度を指す。