杉田水脈は、国会議員に相応しくない思想の持つ主である

最近私は、NHK番組『人類誕生』を見た。全3集に亘る番組なのだが、特に興味深かったのは、第2回「最強ライバルとの出会い そして別れ」である。

 

高い知能と腕力を持つネアンデルタール、そして私たちの祖先であるホモサピエンス。両者の命運を分けたのは何なのか、 番組は真相に迫った。

ネアンデルタールになくてホモサピエンスにあったもの、それは社会性である。ネアンデルタールは家族単位で生活を営み、ホモサピエンスは集落を作り生活を営んだ。この集団形成の差が、情報の伝達、そして互助・互恵に大きな影響を与えたのだ。

狩りに役立つ新しい道具を発明した際、その情報はひとつの集落だけでなく他の集落にも波及した。また、どこかの集落が食糧難に陥れば、その情報を聞きつけた他の集落が食料を分け与え、また逆に自分たちが食糧難に陥った時は他の集落から食料を分け与えてもらった。こうした互助・互恵があったため、 ホモサピエンスは生き残れたのである。

私は以前から、「社会の基本通念は互助・互恵にある」と説いている。人間にはバイオリズムがあり、調子がいい時があれば調子が悪い時もある。単位をもう少し大きくしてもいい。ひとつの家族や集落が調子がいい時もあれば調子が悪い時もある。もし、調子の悪い集団があれば調子の良い集団がそれを補い、足りないものがあれば分け与える。逆も然りだ。

さらに言えば、生まれた時から何かしらの障害を持ち、ずっと誰かの支援が必要とする人もいる。それをも支援し支えていくのが社会である。なぜなら、病気は、生命(種)が多様性を求める仕組み上、どうしても一定数発生するメカニズムであるからだ。人間から見て病気でも、DNAの進化から見てそれは必要な過程なのである。こうした進化の過程を否定せず、障害や病気を持つ人をも支えようと努力しててきたからこそ、人間社会は繁栄できたのである(詳しくはこちらの記事を読んでほしい)。

 

例えば、今、私が住む広島県安芸郡は先般の豪雨で被災したが、多くの方々の復興支援を得て、元の町を取り戻そうとしている。 このように、支え合うのが人間社会というものである。

さて、自民党の衆議院議員 杉田水脈氏は、「LGBTのために税金を使っても生産性がない」などと言い、批判を浴びている。自民党もこの考えに対して特に否定する気はないらしい。

多くの人が「杉田水脈氏は、議員を辞職するべきだ」と言うように、杉田氏は国会議員に相応しくない。そもそも“社会”とは何なのかということを根本的に理解していない。人権に関する政策を“生産性の有無”で論じるのは、政治家として論外であるし、日本国憲法を理解していないと言える。

加えてこの考え方は、 19名を殺害した相模原事件で植松被告と同じである。杉田氏は、植松被告の殺人は認めないまでも、根柢にある思想は否定しないという考えなのだろうか。

確実に言えることは、生産性から人権や生命を計るようになれば、差別を生み出し、生命をも軽視するようになるということだ。このような人間に国会議員を任せてはいけない。早々に辞職したほうがいい。それが国民のためである。

 

 

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