子供の「勉強して何の役に立つの?」にまともに答えてはいけない

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「勉強して何の役に立つの?」
そう子供に問われたことはないだろうか? あなた自身も子供の頃、そう問うたことがあったのではないだろうか。

この問いに対して、大人はまともに答えてはいけない。
なぜなら、子供が本当に言いたいのは、「勉強が面白くない」だからだ。「面白くない」を「何の役に立つの?」と言い換えているだけに過ぎない。大人が本当に教えるべきことは、「勉強がいかに楽しいか」である。

話は少しそれるが、あなたが子どもの頃、部活動をしていたと思う。私も部活動をしていた。そこでお聞きする。

その部活動、何の役に立ったのか?

あなたの子供にも問うてみてもいい。
「あなた部活で○○しているけど、何の役に立つの?」と。

野球選手になる気がないなら、何のために野球部に入るのだろうか?
演奏家になる気がないのなら、何のために吹奏楽部に入るのだろうか?

ハッキリ言って時間の無駄だ。何の役にも立たない。
だが、あなた自身、そしてあなたの子供もこんなこと考えたことはないはずだ。なぜなら、楽しくて、好きで始めた部活動だから。

楽しいこと、好きなことに対して、「何の役に立つのか?」などという問いは起きない。この問いが起きるのは、決まって楽しくないことをさせられている時だ。

「何の役に立つの?」を大人は馬鹿正直に説こうとする。書籍まで出ている始末だ。無駄だ。現に世代を超えて、子供たちは必ず「何の役に立つの?」の壁にぶち当たっている。それに対して、簡潔な回答はまだ示されていない。というか、ないのだ。

子供もバカではない。ぶっちゃけ、学校で習ったことの大半は、大して役に立たないことぐらいすでに気づいている。勉強は実生活に役立つものではなく、「学歴」を得るためのものだとすでに気づいている。だから、「いかに役に立つか論法」は、色んな意味を含めて無駄なのである。

仮に、「勉強は役に立つ」を教えられたとしても、「勉強は楽しい」を教えられないのであれば、それこそ「敗北」なのではないだろうか。

大人が教えるべきことは、子どもが好きな遊びやスポーツのように、「勉強も楽しむことができる」ということなのである。

 

 

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